カイト・カフェ

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「白い車とサングラスの男はどこへ消えたのか」〜みんなで偽情報に乗る

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雨と水たまりの波紋(パブリックドメインQ)

【言っておけばよかった】

 新潟の誘拐殺人事件の容疑者が逮捕されました。
 こんなことなら前もって言っておけばよかったのですが、十中八九、5月14日の月曜日に逮捕されると思っていました(後出しでこんなこと言っても遅いけど)。
 というのはあまり騒がれたくない芸能人の結婚や政府の不手際といった話は金曜日に、警察の手柄と言った派手な話題は月曜日に発表されることが多いからです。
 ウィークデイのワイドショウの数と言ったら十指に余りますが、土日だとグンと少なくなります。金曜日の夜に何か発表しても土日で冷めて翌週はけっこう陳腐な話として小さく扱われる可能性があるからです。
 大々的に扱ってもらいたい手柄話を、そんな日に発表しても損です。土日二日間、別に無用な時間を過ごしているわけではなく、そのぶん証拠固めをすればいいのですから誰も文句は言わないでしょう。

 今回の事件では児童が略取されたと考えられる場所と遺体遺棄の場所が数百メートルしか離れておらず、靴が脱がされていたところを見るといったん家に上げられている可能性が高いわけですから、犯人の家は目の前と考えるのが妥当でしょう。
 とにかく初動捜査が早かったので犯人は動きが取れなくなり、遺体を家の前に捨てるしかなかった、そういう事件だから犯人はすぐに捕まる、発表は月曜日だ、そう考えたのですが23歳の会社員というのは全く意外でした。もう少し若く、午後3時ごろでも自由に動ける無職の男を想定していました。

【何が決め手だったのか】

 警察は最初から黒い車をマークしていて、そこから犯人を割り出したなどと言っていますが、容疑者は別の事件で4月に書類送検されており、事件当日以降行方不明になっていたのですからこんな絵にかいたような不審人物はいません。指紋もあればDNA検体もありそうですから、あっという間に特定されていたはずです。
 だたし“前科があったので狙っていました”では人権的に問題にする人も出てくるかもしれないので、黒い車云々と言っているのでしょう。

 元教員として申し上げますが、先入観をもって人を見てはいけません。私も生徒指導の場で、生徒を先入観で見ないよう常に心掛けてきました。
 しかし困ったことに、この種の先入観、けっこうよく当たるのです。

【22年前の幻】

 それにしても遺体が捨てられる直前に現場を通った電車の運転手が見たというあの白い車、そして被害者児童が朝追いかけられたという黒服サングラスの男はどうなったのでしょう?

 22年前の神戸児童連続殺傷事件、いわゆる酒鬼薔薇聖人事件のとき、私は都会の大病院で長期入院をしていました。おかげで朝から晩までワイドショウに釘付けで、ちょっとした酒鬼薔薇ウォッチャーになっていたのですが、そのときマスメディアが終始追っていたのは二台の不審車両と一人の男――事件の朝、大きなビニール袋を手に持って現場方向に歩いて行った、筋骨逞しい30歳前後の人物です。
 もちろん逮捕された犯人は車両どころか運転免許も持たない中学生でした。あの車両と筋肉男はどうなったのでしょう?

 思い起こせば車両にしても男にしても、そういった目撃情報があるという話はあっても「私が見た」という人は一人も出てこなかったのです。内容はやたら細かいのに肝心の「誰が見たか」がはっきりしないという点では、かつて一世を風靡した「口裂け女」や「なんちゃってオジさん」と一緒です。

 今回の新潟の事件で言えば、被害者児童が黒服サングラスの男に追いかけられたという話はありましたが、それを聞いた友だちも、その子から話を聞いた学校職員も誰もメディアの取材を受けていません。
 白い車の目撃者は直前の電車の運転士ということになっていますが、その人がマイクの前でしゃべっている姿はなく、そもそも目撃したこと自体も疑わしい。
 毎日走っている路線の脇に停まっていた白い車、そんなものに記憶があることの自体がおかしいような気がします。たとえその8分後に大きな事件が起こった場所だったとしても、記憶をたどって白い車があったことなど、よほど気になる異常事態でもなければ覚えているはずがないのです。
 私にも毎日車で通る道がありますが、あとで「何か変わったことはなかった?」と聞かれても困ります。それと同じで、運転士が見た白い車というのも相当怪しい気がしているのです。
 
 では誰がそんな情報を流したのか――。
 これがおそらく偽リークと言われるものです。

【みんなで偽情報に乗る】

 警察は捜査の手が伸びていないと犯人を油断させ、あるいは無関係な人が不用意に真犯人に近づかないよう、偽情報を流したい。マスメディアはこれだけ耳目の集まる事件に新しい情報がないのは困るので何でもいいからネタが欲しい。
 両者の利害が一致して正しくない情報が拡散していきます。

 もちろん記者会見を開いて「こうした偽情報を流すのでお願いします」とやっているわけではありません。警察の誰かが、懇意な記者の誰かに耳打ちするだけでいいのです。
 聞かされた方も「これは偽だな」とうすうす気づいてもほじくったりしません。情報がゼロよりよほどマシだからです。それに今回警察の意思に沿ってやれば、のちのちもっと良い情報が得られるのかもしれません。その辺りが阿吽の呼吸、忖度のし合いのようなものなのです。
 そして一社が一歩走り出せば、他も怪しいと承知で追従せざるを得ません。理由はどこも同じです。

 政治家や官僚、警察や財界の大物たちと記者の個人的関係がなくならないのは、こうしたときに有効な働きをするからです。
 付き合わされるのは私たちですが、何の情報もなければイラつきますから、私たちもまた共犯と言えるのかもしれません。