カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「この凄すぎる人たち」〜多少の不潔に慣れる教育①

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「手洗い」(photoAC)

【この凄すぎる人たち】

 今週火曜日(5月15日)の「踊る!さんま御殿」は「神経質v.s ガサツ芸能人SP」というテーマで番組が進みました。私は神経質ではありませんがガサツというほどでもないので、両方から等距離にある、くらいに思っていたのですが、話を聞くととんでもないことでした。ガサツはともかく、神経質芸能人の話は想像を越えていたのです。

 なにしろ、訪ねてきた友達にはとりあえず風呂に行ってもらい、手足を洗ってからでないと部屋に入れられない、ポテトチップスは手が汚れるので箸でつまんで食べる、旅館のリモコンは誰が触れたものか分からないので触れない、買ってきた牛乳パックや野菜はとりあえず洗剤で洗う、菌が冷蔵庫の中で広がらないように。刺身も水で洗って食べる。他人がローソクを吹き消したバースデーケーキが食べられない、唾は確実に飛んでいると思う。友人の家に食事に招かれるのはうれしいが、奥さんがプロの料理人でないから食中毒の心配もあり、とりあえず死を覚悟して食べる、等々。
 挙句の果て、苛立ったさんまが、
「なんか殴りたくなったワ」
と言うと、
「手を洗ってからにしてくださいねェ」
 二の句が継げません
 しかし同時に、何か考えさせられる問題でした。

【不潔に慣れる教育】

 学校では今でも、休み時間に何で遊んだか分からない子どもたちに「手を洗いなさい」「きちんと拭きなさい」とうるさく言うのが普通です。給食の前などは全員がきちんと手洗いしたかどうか確認することを忘れません。
 しかしそんなふうに指導している中に、実は朝から何回も手を洗って、それでも学校の不潔に苦しんでいる子がいるかもしれないのです。何回も使った自分のハンカチも、ほんとうに不衛生な気がして切ない思いをしている、朝から晩まで清潔だけに気を遣っている――そんな子の存在について、これまで私は全く考えてきませんでした。

 その子は給食のたびに、
「給食のおばさんたちほんとうに手を洗っているのかしら」
「この食材、中国産じゃないよね」
「あ、給食当番の◯◯ちゃん、三角巾から髪が出てるけど、あれが落ちてきたらいやだな」
「わー! △△くん、私のカップのふちに親指つけた―ッ!」
 そんなふうに一人でプチパニックに襲われているのかもしれません。

 体育の時間ににも、「××ちゃんの握ったバット、掴むのやだな」
 音楽の時間も「後ろの◯◯ちゃん、元気よく歌っているけど、私の髪にツバ、飛んでこないよね」
 算数の時間でさえも「ギャーッ!! 先生のツバ飛んできたァ~~~~~(みたい)」
 これでは一日中勉強どころではありません。
 
 実際にそうした子に会ったわけではありません。しかし「踊る!さんま御殿」の出演者の半分(神経質芸能人)は、子どものころだって今と大差のない傾向を持っていたはずです。小さなころから苦しんでいた――そして現在の社会状況を考えると、そんな子はますます増えてきそうなのです。
「子どもの清潔を守る教育」に熱中しているうちに、目標を突き抜けてもっと高い位置まで一気に進んでしまった子どもたち。だたし、それはそれで心配な子たちです。
 少なくとも日常生活においてかなり不自由ですし、人間関係の維持も容易ではありません。

 できればそんな大人にしたくない、そういう子を育てたくない、そう考えると、一部の子に必要な教育は、
「多少の不潔にも慣れる教育」
 妙な言い方ですが、そういうものだと思うのです。

(この稿、続く)