カイト・カフェ

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「ガンという病の分水嶺」〜誰が生き残るのか分からない

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 昨日ちょっと書いた96歳で亡くなった叔父の話です。

 父親方の叔父ですが、私の父も含めて叔父叔母の中では最年長で、男性としては唯一の生き残り、しかも20数年前にガンで余命三カ月を宣告された人です。

 連れ合いの言うことをさっぱり聞かない人で、叔母も心得たもの、三回は空撃ちみたいに言っておいて4回目か5回目で本格的な交渉に入ろうといった感じがいつもありました。
「あなた、お風呂は?」
「あなた、お風呂は?」
「あなた、お風呂は?」

「あなた、お風呂は!!!」

「お風呂は!!!」

 気のいい人で私たち甥や姪には常に声をかけ、優しく接してくれる人でした。
 誰にでも気さくに声をかけて友だちになるので、「あれはオレのポン友だ」というような人が100人以上もいたかもしれません。
 そのうちの一人は私の母方の叔父で、亡くなったのは父方ですから知り合う機会などほとんどなかったはずなのに、一応親戚だということで探し出して仲良くなってしまうのですから大したものです。
「おっとりした人はガンでは死なない。死ぬのは思い詰める人と戦う人だ」
という私の理論を補強してくれたような人です。
・・・と思っていました。

 ところが、今回の葬儀で初めて知ったのですが、そうした叔父は“仮の姿”で、本当は気の短い癇癪持ちだったというのです。
 私の母も含めて叔母たちがこぞって言います。
「外面(そとづら)のいい人だったからねぇ」

 私たち甥や姪は、(一昔前の流行語で言えば)「びっくりポン!」です。
 世の中、分からないものです。
 そして必ずしも、ガンから生還するのは気の長い、おっとりとした人というわけではないのかもしれません。

【義姉の話】

 義理の姉(妻の姉)がガンです。
 昨年、義母の葬儀の日にそれと知れました。

「ステージ4」の胆管癌
 ガンの中でも最悪の部類に入り、女優の川島なお美さん、ロサンゼルス・ソウル両オリンピックの柔道金メダリスト斉藤仁さん、ロカビリーの山下敬二郎さん、ラグビー平尾誠二さんといった人々がこのガンのために倒れています。

「ステージ4」の5年生存率(一応治ったと判断される割合)はわずか2・9%です。診断から一年以内にほぼ80%が亡くなるという悪性のガンで、使える薬も多くはありません。

 義姉の場合、発見の段階で遠隔転移(他の臓器への転移)があったために手術不適合となりました。胆管癌の場合、遠隔転移が認められただけで「ステージ4」です。

 約半年、抗がん剤治療をしましたが、今年の6月になってからそれも使えなくなりました。副作用はあるのに病巣の拡大を止められなくなったのです。もともと使える薬が3種類しかなく(仮にA・B・Cと名付ける)、それも二つの組み合わせ(AとB、AとC)しかないので、使い切ると次がないのです。義姉は半年でそうなりました。

 標準治療がなくなると全国の病院を調べて治験(治療研究)に参加することになります。
 ところが紹介された二か所は、治療が始まる前に問題が発生して、治験そのものが中止になってしまいました。効きもしない(あるいは深刻な副作用のある)治療をしなくて済んだという点ではラッキーでしたが、もう一週間早くそれが分かれば、何も遠い病院まで金と期待をかけて行かなくてもよかったのにと恨みも残りました。

 標準治療も治験もなくなると代替え医療しか残らないのですが、この“代替え医療”、大金を使ってダイヤモンドを掘りに行くようなものなのです。
 掘ってダイヤを手にした人はいる、確実にいる、しかし必ず掘れるとは限らない、掘れる確率は一割以下、そんな感じです。

 それでも義姉は“話だけは聞いてみよう”と予約を入れたのですが、これが病院の都合で延期に延期を重ねているうちに早2カ月、現在電話待ちの状況です。

 何をやっても次の治療が始まらない。
 もうこうなると天は「何もするな」と言っているようなものです。
 

【で、実際は?】

 ところで肝心の義姉の具合はどうかと言うと、これがすこぶる調子がいい。
 抗がん剤をやめてから顔色もよくなり、化粧の乗りもいいなどと舞い上がっている。
 胆管癌の基本的症状である黄疸もなければ身体のかゆみもない。食欲は旺盛。
 6月の時には「左のわき腹が痛い」と自覚症状を訴えたのですが、医者からは「胆管ガンの痛みは右わき腹に出ますから、左の痛みは気のせいです」と軽くいなされ、それきりなくなってしまいました。

 以後、病院には行かず、レントゲンもCTも取らず、血液検査もしていませんから身体の中がどうなっているか分かりません。分かったところで何かやれることが出てくるわけでもないので、それでいいと思っています。
 義姉も何かノホホンとしています。

 とここまで書いてきて、今まで考えもしなかったことに突然気づき、我ながらびっくりしています。それは20年ほど前の私が、ずっと心の中に置いていたことだったからです。

 そのころ私が罹ったガンは肺ガン、がんの種類は「大細胞ガン」という悪性度の強いものでした。ほとんどの人が3年以内に亡くなっています、5年はもたない、だから“より悪性”と言われる――そう思ったとき、次のような考えが頭に浮かんだのです。
「そうなると3年間生き残れば、それで治ったと考えていいのかもしれない。死ぬべき運命の人はすでに死んでいるのだから」

 1年以内に80%近くが亡くなってしまう胆管ガンで、義姉が今も元気だということは、もしかしたらもう危機を脱しかけているのかもしれない、生き残る可能性はグンと上っているのかもしれない。
――もちろん余計な期待を与えないという意味で本人には言えないことですが。

 いずれいしろ、ガンというのはほんとうにミステリアスな病気です。

 亡くなる人と生き残る者の、分水嶺が見えないのです。