カイト・カフェ

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「ビートルズがやってきた!」〜ヤァ!ヤァ!ヤァ!

 今日6月30日は51年前、ビートルズが最初で最後の来日をし、第一回の日本公演を行った日です(6/30・7/1・7/2の3日5公演)。

  記録によるとブルーコメッツやブルージーンズが前座を務めたのはいいとしても、ザ・ドリフターズも出演したということになっていますから何が起きたのかは「?」です。

 今でこそ当たり前の「武道館コンサート」。実はこれが初めて。当時は「畳の上でやるのか?」と首を傾げたものです。
 そもそも360°すべてに観客を配置できる場所でロックグループガーー、というのも全くイメージがわかない。スピーカーはどっちに向けるんだ? と盛んに気をもんだものです(結局普通にステージをつくって演奏者の真後ろには観客を入れないという常識的なものでした)。

 私はまだ中学校に入ったばかりのぺーぺーの田舎少年で、ビートルズが何者かもよく分かっておらず、テレビで見ても、
「何かおかっぱ頭のお兄さんたちがギターでガンガンやっていて、日本のお姉さんたちがキャーキャー叫んでいるうちにあっという間に終わった謎のコンサート」
という感じで、ほとんど記憶に残っていません。おかげで後年、テレビ中継をあまり熱心に見ていなかったことを痛烈に後悔することになります。

【 ロスト・ビートルズの世代 】

 来日したビートルズを見て、それで夢中になり、以後ファンになったというような単純な話ではありません。
 ビートルズは翌年、「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド’」を発表して私の手の届かないところに行ってしまったからです。とんでもなく素晴らしいアルバムで、世界の音楽を根底から変化させ成長させたものですが、いかんせん普通の中学生には難しかった…。
 一方国内ではビートルズに影響されたはずのグループサウンズがやたらマイナーで寂しい曲ばかりを歌っていて、続いてフォークソング・ブーム。こちらの方が私には馴染みました。
 あとから考えると、私の音楽体験はビートルズも含めて、あの爆発的にエネルギッシュで勢いのある「団塊の世代」に振り回されていたようなものなのです。それらは全部「団塊の世代」のものであって私たちのものではない。

 そう言えばビートルズが話題になり始めた頃、ど田舎の私の近所にも「マッシュルーム・カット」のお兄ちゃんが出現したりします。もちろん「団塊の世代」です。
 その頭を見た母が「あの子、親はいるのかしら?」と毒づいてわずか数年後、母はその「親のなさそうな子」の親になっています。東京に出た私はマッシュルームどころか胸にまで届く長い髪をしていましたし、ロックミュージシャンというよりはむしろ浮浪者といった体でしたので、「母のいない感」はハンパではありません。
 それも「団塊」のマネでした。
「遅れて来た少年」はどれもこれも乗り遅れたまま、気がつくとビートルズもわすれてしまっていたのです。

【そして後に繋げる】

 私が本格的にビートルズにのめり込んだのは20代 後半のころ、解散からすでに10年以上たってからのことです。おそらく何回目かのリバイバル・ブームに乗せられたのでしょう。

 教員になってすぐくらいの時期にCDプレーヤーというものが売り出され、ビートルズは早い段階で焼き直されてましたから手にいれやすかったという事情もあったと思います。
 アルバムを順次買い集め、そればかり聴いていました。そして何かの折に、生徒たちにも話して聞かせたのだと思います。

 私にビートルズを教えてもらったという子が少なからずいます。
 現在の学校ではなかなかそういう時間も持てませんが、当時はなんとなく気持ちに余裕があって、何かのおりに好きな音楽の話だとか映画の話だとか、いくらでもすることができた(ような気がする)のです。

 そしてそんな子の中から、バンドを生涯の楽しみにするヤツが出て、あるいは熱烈なビートルズファンになってポール・マッカートニーのコンサートにも行くヤツが出て、彼らが順次SNSにアップして来たりする。

 それもまた教師冥利に尽きるではありませんか。