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「いじめ問題のオルタナ・ファクト」③

 先月末にネット上で話題になった「沖縄市いじめ暴行事件」については、時事通信の記事(「市立中で『重大ないじめ』=暴行動画がネット拡散−沖縄」)にある通り、市教委が“いじめ”を認めて謝罪するとともに調査の継続を約束し、被害者も県警に被害届を出して一応の決着をみました(ネットおよびマスメディア的には)。

 不思議なことにたいていの“いじめ事件”は教委や学校が“いじめ”と認めて謝罪すると社会的には終了してしまいます。自殺が絡まない限り、ネットもマスコミもそれ以上追求しません。したがって事件の詳細も結末も分からずじまいになります。
 世間は溜飲を下げると興味を失ってしまうのです。

 ところが改めてネット上を探すと、こんな記事が出てきたのです。  「沖縄・中学生を一方的に暴行する動画拡散 校長が詳しい事情と心境を吐露、市教委は沖縄タイムスの報道を否定」(2017.01.31 ねとらぼ)

沖縄市いじめ事件では何が起きていたのか】

 それによると学校は事件のわずか三日後、23日には関係者を特定(21日、22日が土日のためにその分遅れた)、25日までに調査を終えて翌26日には市教委に報告。翌27日には加害生徒及びその保護者を学校に呼んで指導、保護者の一部は涙を流して自分の子どもを叱ったといいます。

 被害生徒と加害生徒らは小学校時代からの友人関係であり、中学進学後も家族ぐるみでの付き合いが続いていたとのこと。一方的ないじめなどに発展したことなどは今回の事案以前には確認されておらず、「文句を言った」「言わない」といったささいなトラブルが原因で暴行へと発展したとみている。

 学校側はLINEなどで動画が拡散したことを把握した時点で全校集会を予定していたが、被害生徒の母親から「表立ったことはしないでほしい」との要望を受けて断念。その後も被害生徒の両親と話し合いを重ね、警察への被害届は出したくないと考えている旨や、被害生徒の父から加害生徒と個別に直接話したいと考えている旨などを聞き取り、29日に学校内で個別の話し合いが実現した。

 アンダーシャツの生徒は個別の話し合いに参加できなかったが、被害生徒の父親は「(加害生徒らは)反省しているので、今後も友人関係が続くように学校側に様子を見ていただければ」と話したそうだ。

 学校側は既に所轄警察署にも相談しており、「被害届を出さないということなので事件化をしなかったとしても、要望があれば(加害生徒らへの)指導は可能」と回答を得たという。

 もちろんネット情報ですのでこの記事自体も慎重に扱わなければならないのですが、ざっと読むと学校の対応はほぼ満点。被害者・加害者双方への対応も教委に報告したり警察に相談したりといった点も、非常に基本的で遺漏のないものと思えます。

 事件はヤンチャな男の子たち(数年後、あの有名な沖縄の成人式で暴れまくるような子たち)の内輪揉めで、もちろん反省すべきは反省し謝るべきは謝らなければならないのですが、そのあとで仲直りし再び仲間として楽しくやって行けばいい――、そういう程度の事件でした。

 調査によって事実は明らかになり指導は終わったと、学校も教委もそんなふうに思ったはずです。
 ところが31日になって、沖縄タイムスが記事にすると(2017.01.30 同級生を暴行、動画で拡散 教委「いじめとみていない」)、とんでもない騒ぎになったのです。
 

【正義の糾弾で誰が幸せになったのか】

 沖縄タイムスの記事は、世論に火をつけるに十分なものでした。
 記事をもう一度読み直すと、確かにウソは書いていません。
「中学校がある自治体の教委は事実関係を調べ、いじめとはみていない」
 しかし私が記者だったらこの部分は、
「中学校がある自治体の教委は事実関係を調べ、いわゆる“いじめ”ではないことを確認している」 とします。誤解を招くような書き方は厳に慎むべきです。
 記者はよほど文章の下手な新米か――そうでなければ、あとで“虚偽だ”と非難されないよう配慮しながら“教委・学校のいじめ隠し”を強く滲ませるという、難しい文章の書ける巧者なのでしょう。

 学校及び教委・警察、そして被害者・加害者、双方の家族、それらの人々にとって“終わった”はずの事件はこうして掘り出され、教委・学校は再度協議して記者会見で陳謝し、被害者家族は説得されて被害届を出します。警察も動かざるを得ないでしょう。
 ネット住民とマス・メディアは溜飲を下げ、忘れます。

  ところで「“いじめ”隠しは許さない!」という正義の執行によって、誰が幸せになったのでしょう?
 

【“いじめ”報道は反論を許さない】

“いじめ”という言葉がネットやマスコミの俎上に乗ると、客観的事実は影を失います。 それはいわゆる「横浜 原発避難者いじめ」の場合も同じです。
 ファヒントン・ポストによれば、横浜市は現在も、
「男子生徒が小学生の頃、同級生に総額約150万円を払わされていたとされる行為について、いじめと認定することが難しいという考えを示した」
と抵抗しているようです。もちろんネットは非難ごうごうです。マスコミも暗にそうした世論を支持しているように見えます。

 しかし第三者委員会が調査した結果を客観的事実として認めなければ、何をもって事実と考えればよいのでしょう?

 私はこの事件についても非常に疑問を感じています。(以下、東京新聞の記事2016.11.10を参考に)
 たとえ相手が10人だったとしても小学生が一晩で10万円を使い果たしてしまうとか、たった一か月半で150万円という大金が一般家庭から消えそれを小学生が使い切ってしまうとか、さらにそうした大きな動きに周囲の誰も気づかなかったとか――それらはやはりどうしても不自然です。

 さらに遡れば“小学校2年生が原発避難者だという理由で転校生をいじめる”というのも理解できません。仮に悪い大人に吹き込まれた子どもがいたとしても、逆にその子を追及する正義の士は山ほどいたはずです。小学校1・2年生は正義の子なのです。
 自分自身の過去を思い出せば、その時期、帰りの会で毎日のように女の子から吊るし上げられていた悪ガキはいくらでもいたでしょう? かくいう私もそうでした。

 横浜の第三者委員会の報告は、そうした疑問に十分答えるものだったと私は思いました。
 しかし“もうひとつの事実(オルタナ・ファクト)”は今も教委の隠ぺい体質、責任回避を糾弾してやみません。