カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「家族葬という形式」①

 義母の葬儀も無事終わりました。
 無事と言っても細かなことを言えばかなりの不手際があったのですが、みな、無視できる範囲と言えます。
 葬儀の当事者になるということは、そうたびたびあっていいものではありません。みな初心者で不慣れであることの方が幸せですから、多少の不手際は笑って済まされるべきです(ただし私は火葬場で縁石に自家用車をひっかけてしまい、車体に大きな傷をつけてしまったので笑って済ませるわけにはいきませんが)。

 さて、今回の葬儀に際し、喪主となる義姉夫婦が心砕いたことがひとつありました。それは義母にとって惨めな葬儀にはしたくないというものです。
 最近、近所であった話ですが、普通に会場を押さえ、普通に葬儀をしたつもりが、なんと会葬者が15名しかいなかったというのです。200人も入るホールに15人では何とも惨めです。
 ふつう口にはしませんが、大雑把に、会葬者の数はその人の人徳や交友関係の豊かさ、権力などを示すと考えられがちです。
 義母は94歳の大往生なので、そこまで長生きすると多く年長者だけでなく、同輩や後輩までもが物故者です。一般広告してさて、何人集まるのか――。

 そこから出て来るのが「家族葬」という考えです。どうせ当てにしても大して期待できない参会者なら、最初から切ってしまって家族だけで温かく送り出してやろう――家族葬が何なのかはよくわかりませんが、それはそれで理解できるものです。
 義姉たちの頭の中には、葬祭センターの小さな部屋で、20人程度の親族だけを集め、菩提寺の和尚さんに来ていただいて儀式を行い、簡単な会食をして火葬、散会といったものがあったようです。
 ところがいよいよ義母が危ないとなって葬祭センターに相談に行くと、
「当方はどんな形式の葬儀にも対応しますが、どんな形でやるにしろ、菩提寺のある場合は必ず住職に連絡をして許可を得てください」とのこと。
 そこで菩提寺に行って住職に話すと、
「そんな葬祭センターなど使わず、ウチでやれ」とのお話。
「まあ、当然そういうことになるわナ」と義兄。
 それで結局、通夜は自宅、告別式は菩提寺という一般的なやり方に落ち着きました。
家族葬」について、葬祭センターや和尚さんから言われたのは次のようなことです。

  1.  家族葬という特別な形式はない。
  2.  通夜も告別式もすべて一般葬と同じにやる。
  3.  違うのは事前の連絡で、一般葬が新聞などを通して広く広告しご近所にも会葬を依頼するのに対し家族葬は知らせる相手を厳しく限定し、ご近所にも参列を遠慮していただく。
  4. 知らせる相手は家族に限定するのではなく、特に親しい知人・友人がいれば知らせる。
  5.  ただしのちに事情を知って自宅に香典を届ける人もいるので、そういう人は無碍に断らない。お返し等もきちんと対応する。

  なにか思っていたのとは違うような感じもしました。

(この稿、続く)