カイト・カフェ

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「悲しみの見積もりと“親戚”の更新」~葬式なんてなくても大丈夫②

 一昨日と同様、昨日の母方の葬儀もイトコたちの参加が少なかった。
 もうこの親戚関係は解消したいということなのだろうか。
 しかし葬儀には特別な意味があるはずだ。
 現代の親戚関係を、人々はどう考えているのだろう。
 という話。
(写真:フォトAC)

【冷淡な人々、不躾な人々】

 二日続きの葬儀の二日目は母の姉。前日の父方の伯母と同じ98歳で、姪や甥は8名。その中で葬儀フル参加は私と私の弟を含めて3人。他に焼香のみが1名、通夜の前日に焼香に来て香典等を置いていった者1名、残り3名は未着・不参加でした。
 通夜の前日に来て焼香したしたのはイトコの中の最年長者で、昨年末、いきなりショートメールで「今年からお互いの年賀状のやりとりは、やらないということで、よろしく」と言ってて私を怒らせたひとです。

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 この人からは伯母の訃報を聞いたその晩に電話があって、
「そろそろ香典の額について見直したらどうか。イトコもみんな年金生活者になって家計も苦しい中、これまでと同じというわけにもいかないだろう」
などと言い出すので、また私は腹を立てます。
 親が二人とも死んでいて、
「もうウチはもらうもの(香典)をもらってあとは払うだけだから、この際、減額したい」
というならずいぶん図々しい話ですが、この家にはまだ101歳の母親がいるのです。
 そこで、
「いや、これは“行って来い”の話で、仮に今回、数百万円の香典を持って行っても、遠からずその数百万円がそっくり返ってくるわけだから、苦労してあちこち連絡して、揃えて減額することもないと思う――」
 そう言ってやると翌朝、改めて、「今まで通りで、ということで――」と連絡が入りました。

 “お前たちとの縁はこれから薄めたい、できれば縁切りしたい”と暗示されてうれしいはずもありません。しかし今回、二日続きの葬儀を経て、そうした「縁切り指向」が必ずしも最年長の従兄一人だけのものではなく、多くのイトコたちのなかにあると気づいて私は深く考えさせられるようになりました。何が起こっているのでしょう?

【失われた伝統、哀しみの共有と昇華】

 3年に及ぶコロナ禍が影響しているのは間違いないでしょう。
 この間、私たちは“出席すべき葬儀に出ない”という経験をたくさん積んできました。特に最初の1年間は新聞のお悔やみ欄も、「葬儀は過日、家族だけで行いました」といった事後報告で、あるいはまったく広告をしない例もたくさんあったのです。
 事後に知って慌てて駆けつけなければならない関係はあまり多くありません。コロナ禍以前だったら必ず行っただろう義理の大部分は、もう果たさなくて良くなったのです。その「行かなくて済む葬式がたくさんある」という経験が、親族にも適用され始めた――そう考えると、今回、伯母のたちの葬儀に無理をしなくなったイトコたち、香典の減額を本気で考えた年長の従兄のことも理解できないわけではありません。
 
 しかし、とそれでも私は思うのです。
 偉大でも何でもない普通の人間が、主人公となってみんなの話題の中心となり、しかも誉められたり感心されたりするできごとって、人生に2回しかないじゃないですか。結婚式と葬式だけです。しかも結婚式はない人もいる。
 だったら人生の最後のとき、故人を知るできるだけ多くの人々が、その人ひとりだけのために集い、その人について語るって、すごく大切でしょ。
 え? 本人は死んでるって?
 その通り、本人にその声は届きませんが、遺族は聞いています。
 
 弔問際に言う「お悔やみ申し上げます」は、死者に対してすべてやり尽くしたような家族でも必ず持っている「ああすればよかった」「こうしておけばよかった」という悔いを、私も共有しましょう、一緒に悔やみましょうという意味です。
 昨日の葬儀の後の席でも、喪主である従姉が写真を見せながら説明するのを聞いて、私の弟は「まだまだ元気でこんなふうに会話ができると分かっていたら(妹である自分の)お袋を連れて来たのに」とか「そう言えば伯父ちゃん(今回亡くなった伯母の配偶者)の位牌にお参りするということもしてこなかったよね」などと盛んに悔いていました。それが遺族にとっては大切なのです。慰めは悔やみの共有から始まるからです。
 
 そう考えるとできるだけ多くの人たちが駆けつけ、弔いの言葉を述べるのはやはり大事なのだということが分かってきます。もらった分の香典を返せばいいという問題ではありません。ましてや減額などまったく話にならない――私の中の“常識”はそんなふうに半鐘を鳴らします。
 世の中の誰もしなくなっても、私は弔問というその仕事をしましょう。
 
 そう決意すると同時に、別に分かってきたことがあります。

【悲しみの見積もりと“親戚”の更新】

 それは、もしかしたら個人が98歳だからいけなかったのかもしれないという可能性です。
 本人はもう存分に生き尽くした、家族も十分に介護し尽くした、だから悲しみもさほどではなく慌てて駆けつける必要もない、といった判断が無意識に働いたのかもしれないということです。
 しかしそうだとしたら、同世代であるイトコ本人の死、さらに進んでイトコの子が亡くなったといった事態が起こったら私たちは急いで駆けつけ、心を込めて哀悼の意を表するということになりますが、はたしてどうだろうか――。
 私はどっちみち行きますから判断の基準になりません。好奇心も手伝ってみんな行くとも思えますが、98歳の伯母の死と扱いが同じということもあるかもしれません。そう考えると思いは再び仏堂の周りを回り始めます。

 親戚というのは安上がりな自前のセーフティ・ネットです。第二次世界大戦中は疎開先として、あるいは食料の調達先として親戚を当てにして、戦後は就職先をあっせんしてもらうこともしばしばだったようです。それは現在でも通用しないわけではありません。大災害に遭ったというような場合はもちろんですが、例えば子や孫が千葉県に住むようになった場合、同じく千葉県にいる親戚はいざというときにアテにできます。そういう存在があると思うだけでも安心でしょう。
 しかしそれはオバやイトコでなくてもかまいません。子や孫が子どもの間はそうでも、今や子には配偶者があってその配偶者の兄弟が千葉県にいればそちらを頼ればいいのです。配偶者の親やその兄弟もアテにできます。
 
 子や孫の婚姻によって下の世代で親戚が拡大しており、私たちが後生大事にしてきた私たちの世代の親戚というセーフティ・ネットが、役目を失いつつあるのかもしれません。いわば親戚関係の更新です。
 イトコの中で年長者ほど私たちに無関心になっていくように見えるのも、彼らの方が年齢を重ねた分、大きな家族を所有するようになっているからかもしれないのです。
 (この稿、終了)