私に子どもを亡くした経験はない
しかし家族を亡くすかもしれないという想いはいつもあった
そして私の場合
子どもが死ぬことを乗り越える方法はひとつしかないと思っていた
というお話
(アルベルト・エデルフェルト 「子供の葬式」)
私に、子どもを亡くした経験があるわけではありません。
ですからこれからお話することは、今まさにお子さんを亡くして苦しんでおられる方の参考となるようなものではなく、以前お子さんを亡くした方から「そんな生易しいものではない」と言われれば黙って引き下がらざるを得ない、その程度のものです。
ただし子育てをしてる間じゅう、私はその手から子どもたちが零れ落ちる可能性を考えなかったことはなく、もしそうなったらこうしようと思うところはたくさんあったのです。
実際にそうなったら考えていた通りにはいかない、それもその通りでしょうが、私は考えていたのです
【受け入れがたい子どもの死をどう受け入れるか】
一つの方法は、事後、その子の死に意味を与えることです。
その子が事故に遭った場所にガードレールを設置させるとか、見守り隊を組織するとか、必要な法整備を促すとか、社会全体の意識改革を迫るとかいったことです。
時に裁判を通して責任の所在を明らかにしようとする人がいますが、それも必要なことです。
その子の生きた姿を書籍などに著すことによって、何人もの人々に生きる勇気を与えられるとしたら、それも“意味ある死”の名にふさわしいものと言えます。
たったひとりでも友だちの心の中に姿を残し「あの子の分まで生きよう」という気持ちにさせられるなら、それも生きた証になるでしょう。
臓器提供は、最も具体的で確実な方法のひとつです。
誰かの体の中に部分的にも我が子を生かすこと、それによって他人を生かすこと、一つの命の犠牲の上にいくつもの命が助かること。
我が子の身体が切り刻まれると考えると難しくもなりますが、死んだ命を生き返らせるには、今のところ他に方法はありません。
そんな考えていくと、亡くなった子どもの死に意味を付与する方法はいくらでも浮かんできそうな気がします。
しかし私はそうした道を選ばなかったような気がします。一つのお手本があるからです。
【福知山線打線事故の、忘れられない人】
乗客運転士合わせて107名が死亡(負傷者は562名)という大きな事故で、そのために家族を探して複数の遺体安置所を回る遺族が続出しました。
あるテレビクルーが取材した男性は、娘さんが事故車両に乗っていたことがほぼ確実であること、病院の搬入者リストに名前がなかったことなどを話し、一か所目の安置所でも見つからず次の場所へ移動する途中だと語ります。
そのクルーがいくつかの取材を終えて次の安置所に向かうと、そこに現れたのはしばらく前に取材したあの男性だったのです。
マイクを向けられてその人は言います。
「はい、おかげさまで見つかりました。ここにいました。安らかな顔でした」
それから一息つき、
「これが娘の人生です。あの子は一つ早い電車に乗っていればその電車が、一つ遅い列車に乗っていればそれが脱線転覆して同じように命を失っていたに違いないのです。それがあの子の人生です。ありがとうございました。本当にありがとうございました」
そういうとさわやかと言っていいほどの明るい表情で、暗い坂道を下って行ったのです。
いざというときは私もかくありたいなと思わせる後ろ姿でした。
【悔いの残らない子どもとの人生】
普通、葬儀の場で交わされる挨拶の基本は、
「お悔やみ申し上げます」
です。
急な葬儀ではもちろん、長年病んだうえでの天寿を全うしたような人の葬儀であっても、遺族は多くの後悔をのこしているものです。
ああしておけばよかった、こんなふうにすればよかった、あんなふうに言わなければよかった・・・そしてこんな後悔をしないで済むようにしておけばよかったと後悔に後悔を重ね、悔いの言葉を口にします。
「お悔やみ申し上げます」
は本来、
「私も遺族の方々と同じようにたくさんの悔いを残しています。後悔に苛まれています。ですから詮無いことですが、一緒に後悔を口にしあいましょう」
と言う意味です。
ところが先ほどの娘さんを亡くされた男性には、そうした悔いの雰囲気がまるで感じられないのです。
やり尽くした、ここで終わることも受け入れていこう、そんな感じが漂って来ます。私がかくありたいと思ったのはそういう部分です。
一期一会。これが最初で最後だと思って人との関係を取り結びなさい。それは自分の家族に対しても同じです。
子どもが死ぬことをどう乗り越えるか
一般的なレベルでは哲学的な命題で、答えはなかなか見つかりそうでにありませんが、個人的な段階では、それが私の答えです。
自分の子、自分の教え子が亡くなることをことを乗り越える力は、いつ関係が断ち切られても、
「自分がこの子に対してできることは、その都度やり尽くしてきた。いつ終わってもそれが最後と思い定めて引き受けることができる」
という覚悟と自信だけではないかと思うのです。