「様式からはみ出ることの胡散臭さと必要性」~冠婚葬祭の経済学3

 
同棲は無責任、式も披露宴もしないというのは逃げ――そう考える人たちがいる。
しかし時代とともに考えなくてはならないこともあだろう。

というお話。
 

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(ブレア・レイトン 「登録簿へのサイン」)
 
【同棲の経済学と倫理学
 娘のシーナが結婚式を決める1年ほど前、こんなことを言ってきたことがあります。
「前に話したエージュと、同棲したいんだけど、どう思う? その方が経済的に凄く助かるんだけど――」
 私の答えは簡単でした。
「経済的に助かるなんて百も承知だ。しかしその上で、ダメ!」

 女性にとって“同棲”がどういう意味を持つか分かりませんが、男にとっては天国です。
 多少の制約はあるにしても経済的に楽で、食事付きセックス付き、責任だけが“なし”、いざとなったら乗り換え可、ですからこんないいことはありません。結婚という形式を取らずに“同棲”で済ますのは、簡便さとともにこの「乗り換え」カードを手放したくないからではないかと、密かに疑っています。

 私の知っている中にも、何年も同棲生活を送って女性の方が“もう、そろそろ”と思っているのに、男の方が言を左右にして首を縦に振らない例がいくらでもあります。
 父親として同棲を許すというのは、その長い長いアリ地獄に娘を送り出すことですから、絶対に許可できないのです。
「同棲するくらいなら結婚しなさい。その方がさらに経済的だ」

 私は人生に踏ん切りをつけない人間と無責任な人が嫌いです。いつも心の隅に言い訳や猶予を残し、逃げ出せる準備をしておきながらだらだらと見通しもなく安穏な日々を送る人々、そういう人間は信用ならないと思っています。――自分自身がそうでしたから。

 同棲の話が出たころはあまりエージュのことは知りませんでしたから、それが向こうの方から言い出したものならシーナの眼鏡違いで、案外つまらない男かも知れないな、と思ったりもしました。
 幸い話は蒸し返されることはなく、三か月ほどすると正式に結婚の申し入れに来てくれましたが。


【敢えて“普通”を避ける男たちの胡散臭さ】
 少し異なりますが、結婚式も披露宴もやりたがらない男というのもなんとなく胡散臭い存在だと思っています(女性について言わないのは想像がつかないから)。
 お金がないからやめておこうねという男も、そんなお金があるならもっと有意義なことに使おうという男も結婚式のメリット・デメリットがきちんと計算できているか首を傾げますし、計算の上で言っているとしたらかなりの曲者です。

 式を計画して連絡して、といったことはやはりかなり面倒なことなのです。がんばればかなりの低予算、さらに言えば収益の上がる式だってあるとお話ししましたが、それとて油断すればすぐに赤字になってしまいます。
 時間もエネルギーも金もたっぷり使って、
「ああ、素晴らしかったね、良かったね。でも二度としたくないね」
 それが結婚式(披露宴を含む)。あんなに大袈裟にやってしまった以上、もう引き下がれない、これで別れたら来てくれた人に顔向けできない――そう思わせるのが蹴婚式の隠れた意味だと私は思っています。
 
 もちろん結婚したら本性を現した悪魔のような配偶者と、死ぬまで付き合えというのではありません。しかし「人生、山あり谷あり」なのです。夫婦関係も良いときもあれば悪い時もあります。その悪いときに簡単にキャンセルしていたら、手に入るはずのものも入りません。

 式を挙げ、派手に披露宴をやってしまったという事実は、そこで踏ん張る人生の徳俵みたいなものです。それがなければ驚くほど簡単に土俵を割ってしまうかもしれません。

 実際、結婚式をしなかった夫婦は有意に離婚率が高いという統計もあります。
 例えば、↓

www.anniversaire.co.jp
 離婚しない人たちがみな世間体を憚ってしないということではありませんが、ストッパーはたくさんある方が有利でしょう。

 どうせ別れるんだからと思えば、挙式も披露宴もばかばかしくてやっていられません。一銭もかけられないところです。
 最初から結婚式をやりたがらない男に胡散臭さを感じるのは、そうした匂いを感じるからかもしれません。覚悟のほどが見えてこないのです。


【葬式の経済学】
 葬儀についてはこれまで何度か書いてきましたから、今さら新しい話はありません。

 ただし“お金がないから葬儀は簡略に”というのは結婚式同様、成り立たないことが少なくありません。
 結婚披露宴とは違って会食費がぐんと抑えられますし、「香典は半返し」という了解がありますから、おおざっぱに「集まった総額の半分が収入」という計算ができます。それで葬儀費用を賄えばいいのです。

 父が死んだときは私も弟も現職でしたから、仕事関係の参列者がかなりいました。それぞれが属する職場の代表者として香典を託されてくる例もありますし、来られた方のほとんどが会食せずに帰りますから、差し引きは大きくプラスになりました。
 参加者が多ければ多いほど収入が増えるという原理は、ここでも働くのです。

 では、今年91歳になった母が死んだときも同じようにするかというと、それが微妙なのです。

 2年前に94歳で亡くなった義母の際は、今流行りの「家族葬」という形式で行いました。
 その娘で今年の夏に亡くなった義姉がこだわったのです。なぜかというとしばらく前にご近所であった高齢の方の葬儀で、普通に執り行ったところ200名も入るホールに参列者が15名しかいなかったというのです。
 確かに90歳を過ぎると友だちもあらかた亡くなって、子たちが片っ端リタイアしていると義理で来る人も少なくなります。

「そんな惨めな葬儀にしたくない」というのが義姉の強い願いで、そこで「家族葬」という形をとったのですがそれがいかに面倒くさい話だったかは、以前詳しく書きました。

kite-cafe.hatenablog.com

 
 
 冠婚葬祭は日本人が長い時間をかけてつくり、守り、変化させてきたものです。ですから形式に従っている限り、おおきな間違いや面倒は起こらないようにできています。

 ただしこれだけ高齢化の進んだ社会における葬儀というのはやはり考え直すしかなく、「一定の年齢を越えている場合は家族葬」という方向は今後も広がっていくでしょう。今は過渡期で面倒くさいことも多いですが、少しずつ調整しながらゆっくりと定着させていくべきだと思います。

 母のことは改めて考えることにします。