『教員となった1983年の4月1日を、私は生涯忘れまいと決心し、現在も強く心に残っています』
これは何度か文章に書いて、このブログにも書き残したものです。
新採用として赴任した学校で気絶するほど忙しい一日を過ごした後、歓迎会の席で酒を注がれ、二次会に誘われ、三次会に呼ばれ、当時のことですから四次会あるいは五次会くらいまでも行ったのかもしれません。夜が明ければ仕事があるというのに午前三時にまだ飲んでいました。そしてその間、話していたのはすべて生徒と教育の話だったのです。私は恍惚とするほど幸せな気分でした。
世間が狭いと言えばそれまでですが、この人たちは私がそれまで見てきた人たちとは全く異なる存在でした。ほんとうにまじめて誠実で、素直でウソのない人たちです。少年のような情熱を秘め、無垢で、ひたすらまっすぐ前を見ています。私は心の底から驚き、尊敬のまなざしでこの人たちを見ました。
今後この人たちと一緒に仕事ができるかと思うと心底幸せでしたし、やがて長じて指導的立場に立ったら、絶対にこの人たちを守る仕事をしようと決心したのもその夜のことです。そしてその誓いはずっと守られてきました。
世の中の人たちは、教師が心底子どもを大切にし、子どものために生きているということを知らないのです。知っていたとしてもその深さは常人の想像を超えています。教師はほとんどバカなのです、それを知らない。先生たちはバカなくらい善人だということを前提にしないと、学校も教師も理解できなくなります。だから常に誤解が繰り返されるのです。
たとえば、
かつての同僚に2級建築士の資格を持つ図書館司書という不思議な人がいました。
その方と話している最中、「先生たちってお金、持ってるんでしょ」という話が出てきてびっくりさせられます。聞くと、昔の同僚である住宅メーカーの社員が、とにかく教員というのは言い値でお金を出す、まったく交渉しないというのです。まるでお大尽の対応です。
そこで私は説明します。
「教員は人がいいのと世間的に無知だからそうなるのです。まるで馬鹿なのです。
その前に前提として、申し上げておくことがあります。それは教員が家を建てるときは、多く人事が絡むということです。家を建てるのでその近くの学校に異動させてくださいということです。
人事は絶対秘密ですから誰にも言えない。だから家を建てることについても誰にも相談できない、一人で書籍でも読みながら考えるしかない。しかもものすごく忙しいですから、その書籍さえ読んでいる暇もありません。つまり無知なまま業者と向かい合います。
教員が言いなりになる第一の理由がそれです。家を建てている過程で、どんどん注文を出していい、『ああしたい』『こうしたい』と言っていいということを知らないのです。一度契約書を交わした後であれこれ注文を付けるのは不誠実だと思っているのです。だってそうでしょ? もうお金を払っちゃったんだもの、そのあとであれしろこれしろでは卑怯じゃないですか。教員はそのように考えます。
教員が言いなりになる第二の理由は、住宅メーカーの営業担当者が『精一杯のことをやらせていただきます』と言ったからです。そう言ったからには設計の段階で、その『精一杯のこと』が提示されているはずです。教員だって児童生徒や保護者について、いつでもそのようにやってきました。だとしたら、精一杯やってくれた人をそれ以上追い詰めてはいけない、そう考えるのです。だから言われた通りお金を出します。
あなたにその話をされたお友達に言ってあげてください。教員というのはお金があるわけではありません(もちろん公務員で借金がし易いということはありますが)。
あの人たちはまじめで正直で、疑うことをしない人たちなのです。早い話がバカなのですから、もっと丁寧に扱うようにしてやってください、と、ね」
(この稿、続く)