「子どもとのやり取りには定石がある」~天才でない限り、それを学ぶしかない 

 親として、教師として、先輩として、常に正しい言葉の使える天才がいる。
 ただし凡人は真似できない。ただ学ぶだけだ。
 天才や先達の技を学び、訓練して使えるようにしておく。
 そのためにはいつも誰かのそばにいて、教えを乞うしかないのだ。

という話。

f:id:kite-cafe:20220413071741j:plain(写真:フォトAC)

【凡人のなすべきこと】

 昨日は「ここぞというときにこれしかない言葉をかけられる」天才的な母親の話をしました。しかしそうした技は天才だからこそできることで、凡人は容易に追いつけるものではありません。凡人は学ぶだけです。
 教員も同じで、天才的な教師は何をやってもうまく行きますが、私のような凡人は学ぶしかありませんでした。そうした子育てや教育の天才や研究者、あるいは先輩たちの言葉をひとつひとつ丁寧に収集し、訓練し、いざというときに使いこなせるようにしておくのです。
 昨日の例で言えば、子どもが危険なことをしたとき、「キミのことを命がけで産んだ人がいることを思い出しなさい」と言ってあげることです。今後実際に使えるかどうかは別として、覚えておいて損はないでしょう。

 

【子どもとのやり取りの定石】

 あまり意識されないことですが、子どもとのやり取りには、すでに誰かによって開発された「定石(に近い言葉)」があります。

「オレ、先生のことデェ嫌レエだ」と言われたら何と答えるか、
「なんでオレのことばかりいつも疑うんだ」と追及されたときどう答えたらよいのか、
あるいは究極的な状況――自分の子どもに暴力を振るわれて病院に担ぎ込まれ、そこに当の子どもが現れたら、第一声は何と言ったらいいのか(これにも定石があるそうです)、
 それぞれの場合に定石があり、さらにより良い答えというものもありますから、常に採集しため込んでいかなくてはなりません。


【師匠のあとをついて回る】

 いつも申し上げている通り、教職は職人芸です。大工が基本的な技術を身につけると同時に先輩たちの工夫や知恵を学び取り、建物を一棟建てるごとに技を高めて行くように、教師も一通り基本を学んだら、ひとつひとつ先達の知恵を学び、身につけていくしかありません。大工も教師も、10年も続ければ普通は一人前になっているものです。

 ただし現場で常に師匠と共にいて、いつでも助言を受けられ、どうしてもだめなら部分的に手を貸してもらえる大工と違って、教員はいつも教室に隔離されていています。その場で指導を仰ぐということができないわけです。いつもこちらか声をかけるように心がけないと、先達も気づかず、見かねて声をかけるということもありません。

 新人の教師ならできるだけ早い時期に良き先輩・師匠を見つけ、腰巾着のようについて回ってあれこれ訊くのがいいでしょう。教員はもともと教えるのが好きな人たちですから、どんなに忙しくても必ず相談に乗ってくれるはずです。もし相手にしてくれないようなら、それは師匠にふさわしくない人ですからすぐに相手を変えればいいだけのことです。