カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「先生たちはバカなのです」2 〜マイ・レジューム⑧

  以前、民間に努める飲み仲間と給食費未納の問題について話していて、こんなことを言われました。
給食費なんてまともに払うやつはバカさ。
 払わないのは仁義に悖るが、あんなもの一年間まとめて年度末に払えばいいんだ。その間、銀行に預けておけば、わずかながらも利子分が入ってくるだろう。そうやって細かなところに気を使うのが収益を上げるコツさ」
 もちろん彼は未納者の代弁をして見せただけで、自身はすべきことをきちんとする人です。
 しかし経営者というのはそういうことも思いつくのかと、ほとほと感心しました。教員にはまるでない発想です。

 世の中の職業のほとんどは経済活動を中心としています。理容業だったら技術を売りシャンプーやハサミの購入する場面で、建築業だったら住宅販売や資材購入の場面で。
 教員と同じ公務員でも市役所などの場合は、市道を広げる施設を補修するといった場面で必ず、「もう少し安くならないか」とか「いくら市民の皆様の要望でも、予算の関係でこの程度のことしかできません、ここまでならできます」といったふうにそろばんを弾くことになります。
 また、そうした場面で人々は必然的に戦闘モードに入ります。企業収益を上げるために、予算の公平公正な執行のためにそうならざるを得ないのです。それができない人は社会人として不適格、非常識ということになります。
 ところが公立学校の教員はその点でまったく不勉強で不適格・非常識なのです。

 なにしろ扱う金と言ったら学年費か旅行貯金。それも一円でも安くすれば自分がもうかるとか、児童生徒により良い教育環境を与えられるとかいったことにはなりません。絞ったところで10円か20円しか浮いてこないのですから。
 予算規模がひとり数万円になる修学旅行などではさすがに相見積もりを取ったりしますが、それ以外で経済活動に携わることはほとんどありません。普通の企業人なら中核的であるはずの部分で、さっぱり修行を積んでこなかったのです。したがって個人的な買い物でも、すぐに相手の言いなりになってしまいます(しつこいですが、収入にゆとりがあるからではありません)。
 
 もちろん100万人近く存在する教員の中にはそうしたことにも長けた人もいて、「新車を購入するのに50万円もまけさせた」と吹聴するようなこともあります。しかしそれは特別な例です。周囲の教員は「ふーん、すごいなあ」と感心はしますが、その交渉術を学び、磨きをかけようという人はまずいません。
 そもそも買い物が好きで、日はあちこちの店をのぞき込んでは商品チェックをしている、といった人も多くはありませんから、せっかくの交渉術を学んでも生かす場面がほとんどないのです。そんなことをしている暇があるなら、教材研究をしたり部活の指導をしたりしている方がよほどましだと思っています。

 それで教員自身が損をしているだけならいいのですが、社会と軋轢をきたす場面もないわけではありません。「金銭交渉で努力しない」「経済活動戦闘モードにスイッチが入らない(そもそもスイッチがない)」「大きな買い物もめったにしないから金銭に無頓着」という性格は、反面で「商業的慣習やルールに無知」「金銭問題できっちり詰めない」ということにもつながるからです。「教師は世間知らず」「先生は常識がない」「社会人としてはまるでダメ」と言われる原因のひとつがここにあります。

 業者相手に、何をしてはいけないのかどの程度までいいのか、ものごとを頼んだりやってもらったりするのにどういう手順を踏んだらいいのか、まるでわかっていませんからさまざまに頓珍漢だったり無礼だったりすることがあるのです。
 社会の中核的活動(経済活動)が学校ではミニマムですから、ほとんど無能状態です。ただしそれは野球選手がボクシングのリングに挙げられ、ボコボコにされた上で「ダメだ、コイツ。まるで使えねぇ」と言われているのと同じだと私は感じています。

 しかし言い訳の通用する話でもありません。世間の人たちにはこう言って頭を下げ、耐えていただくだけです。
「すみません。教師はバカですから我慢してください」

(この稿、続く)