「その日」〜ガン病棟より⑦

 手術を前に、楽しみなことが一つありました。それは全身麻酔です。
 実はその数年前、私は声帯ポリープの手術で経験しているのです。それは実に不思議な体験でした。
 ストレッチャーで手術準備室という感じの部屋に運ばれ、そこで硬く冷たいベッドに乗せられます。見ふ上げると頭の上のあたりに点滴のバッグが吊るされているのが見えます。その管の接続部に注射器を向けながら、担当医が言います。
「Tさん、それでは麻酔を始めますので、百から数を逆に数えてください」
 そこで私は「100・99・98・97・・・」と数え始めるのですが、そうこうするうちに医者が点滴の管に注射針を入れ、そこから麻酔液を流し込みます。そして左腕の静脈を冷たい液体がスーッと駆け上がっていきます。
「さあ眠るぞ」そう思って身構えた次の瞬間、
「Tさん、Tさん、起きてください。大丈夫ですか」
――ちょっと待て、今眠ろうとしているのに、なぜ起こすんだ!
「Tさん、終わりましたから目を覚ましてください」
――え?
 周囲に意識を広げると、まさにストレッチャーで運ばれているところでした。その間3時間。全身麻酔で眠るというのはそういうことなのです。夢を見ることも眠っていたという感覚もなく、意識は麻酔前と間断なく繋がります。本当に不思議で得がたい経験です。

 短い人生の中で二度までもそうした体験ができる――それが手術室へ向かうときの、私の頭の隅にあった楽しみだったのです。
 しかし今回の全身麻酔はまったく違うものでした。意識が途切れない、時間の経過が意識できない、そうしたことは同じでしたが、目覚めたあとの様子が全く異なっていたのです。とにかく大変だった。

 断末摩という言葉があります。末摩というのは仏教用語で命の根幹にあたるもので、ここを“断”たれると激痛とともに死ぬといいます。今回の手術はまさにそういうものでした。声帯ポリープといった喉の奥の小さなできものとは異なり、命の根幹にメスを入れたのです。ただではすむはずもありませんでした。

 それはひとことで言ってしまえば異常な興奮、一種の錯乱です。15ラウンドを戦い切って勝利したボクサーが泣き叫ぶように、大声で怒鳴ったり叫んだり、そしてどういう錯誤か卑猥なことまでわめき散らし、全身を揺すぶって動こうとしたようです(その一部は覚えていますが、だからここには書きません)。そしてそんな怒りに任せた時間が納まると(それがどれほどの長さだったのか記憶がありません)、私は眠りました。


 手術後の、退院までの一か月半について、記憶はあるのですが思い出らしいものは残っていません。脇の下からずっと流し込んでいたモルヒネのせいでしょうか、何かゆったりと時が流れ、毎日とろとろとして感情が揺れなかったような気がします。
 寝返りが打てないのがしんどいとか、毎日レントゲンを撮るのが少し不安だったとか、あるいは傷は針と糸で縫うものだと思ったらホチキスのようなものだったので呆れたとか、そんなことを覚えています。

 妻は切除した肺の切断面を見たそうです。ガンはまるで砂のようだったと言います。サイズは8×6×6cm。呆れるほど大きなものでしたが、それがそっくり卵の黄身のように上葉部の中に納まり、外にはみ出しては(これを浸潤という)いませんでした。それはかなり有利なことで、たとえば胸膜にはみ出していた場合、それはつまりガンが進行中だという事なのです。そこで広がり続けます。
 浸潤がなければ、あと、恐れるのは転移と再発だけということになります。

 

(この稿、続く)