「終わりの始まりと希望の杖」〜ひとの生き方と死に方 3

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ウジェーヌ・ドラクロワ「ダンテの小船」)

 

代替療法

 がんが発見された翌年の2017年の暮れを、義姉は何事もなかったかのように終えようとしていました。

 9月・10月といくつかの代替療法を検討しましたがいずれもうまく行きません。

 ひとつはNK療法で、これは本人の血液から免疫細胞のナチュラルキラー(NK)を取り出して増殖させ、身体に戻そうというものです。しかし抗がん剤のなどの標準治療と併用してこそ効果があると聞いて断念しました。義姉の三つ年上の長姉が早くからこだわっていた療法でしたから、やるなら1年前にすべきでした。

 

 もうひとつは重粒子線治療で、こちらは放射線の中でも特に重い粒子を集中的に患部に当ててがん細胞を破壊しようというものです。けれど問い合わせたところ、胃のように自律的に動く部位や管状の患部には不適応ということでこれも諦めざるを得ませんでした。

 ただし私は、それでいいという感じも持っていました。

 

 もともと代替療法に対しては砂漠にダイヤモンドを探すようなものだという思いがあります。効かないわけではないが特殊な場合にしか効かないといったいった印象です。さらに全身療法であるNK療法はまだしも、がん細胞に直接働きかける重粒子線治療については本能的な恐れもあったのです。

 

 義姉はその間ずっと元気でした。もしかしたらがん細胞は眠ろうとしているのかもしれません。そんなときに直接がんに働きかけてそれで目を覚ましたらどうするんだ、そんな気持ちです。

 

 これは科学の問題ではなく一種の信仰ですが、今年の2月7日のブログタイトルに書いたように、「うまくいっているときは余計なことはしない」というのが私の基本的な考えなのです(2018/2/7 「うまくいっているときは余計なことをしない」〜義姉の病気と日本の教育と)。

 最悪の胆管がんで丸一年も症状が出ないのだから、そして肺の転移巣は縮小しているのだから、そこには何かいい条件が働いているに違いない、だとしたら何もいじってはいけない――。

 しかし義姉夫婦は肺の転移巣が縮小した10月にも、あらたな代替療法を探し始めます。

 

 

【終わりの始まり】

 11月末になって再びがん細胞を殺す代替療法に挑戦することになり、さすがにこのときは私も黙っていられず、やめた方がいいと助言して義姉との関係を少し悪くしました。

 

 しかし無理もないのです。私自身がかつて当事者でしたからそれもよく分かるのですが、がん患者にとって「何もしないで待ち続ける」というのもけっこう大変なのです。「座して死を待つなんてできない」といった感じでしょうか、とにかく何かをしていないと気が済まない。それも分からないではありません。

 病気は本人のものですし私は義理の弟にすぎません。もうそれ以上のことは言わず、私は見守るしかありませんでした。

 

 結局義姉は11月の末から2週間おきの治療に取り掛かりました。しかしその治療もわずか2回受けただけで終わってしまいます。

 3回目の治療日、病院に行って事前検査をしたところ、黄疸が出ていると言われ代替治療は中止となります。そしてそれきり、二度と同じ病院に行くことはありませんでした。

 

 最初、白目の薄い濁りにしか見えなかった黄疸はすぐに全身に広がり、それまで全く病人らしいところのなかった義姉がいかにもがん患者らしい姿となって、以後闘病の日々が始まります。

 それが終わりの始まりでした。

 

【黄疸】

 胆管がんの「胆管」というのは肝臓でつくられた「胆汁」を十二指腸に運ぶ長さ10〜15cm、太さ0.5〜1cmほどの管です。

 胆汁は脂肪の消化を助ける消化液で1日に600mlほど分泌されると言われています。色は 肝臓で生産されたときには薄い黄色で、胆嚢(胆汁を一時溜めておく臓器)で濃縮されると粘液が混って黄褐色あるいは濃い緑色になります。大便の黄褐色はこの胆汁の色です。

 

 がんが大きくなって胆管が潰されると、胆汁は十二指腸に流れなくなります。便は白くなり、行き場を失った胆汁は肝臓の中に滞留して血液に吸収され、全身に広がります。それが爪や眼球の白目の部分を黄色くし、やがて全身を黄色に染めます。がんによる閉塞性黄疸と言います。

 

 黄疸で全身が黄色のなるとは聞いていましたが、まさかあそこまで濃い黄褐色になるとは思ってもみませんでした。アメリカのパフォーマンスグループ、ブルーマンのまさに黄色版です。

 若いころから美しくあることに金も時間も手間もかけてきた義姉、それにふさわしい素地を持った義姉、そんな人が真っ黄色の体になって入院するのはほんとうに痛ましいものでした。

 本人はそれでも気丈でしたが、周囲の者たちがむしろ心折れていきます。

 

 

【ステント】

 がんによる閉塞性黄疸の場合、治療は姑息的な(根本治療ではない一時的な)ものになります。潰された胆管の中に網状の金属の筒を差し込んで押し広げるのです。

 その筒をステントといい、折りたたんでチューブに入った状態のものを、そのまま内視鏡によって十二指腸まで運び、胆管に挿入します。そしてチューブだけ抜き取り、あとは時間をかけてステントを広げるのです。

 胆汁は元通り胆管の中を流れ、黄疸は1か月ほどで完全に抜けてしまいます。

 

 しかしがんはその後も増殖し、網目の間から内側に侵襲して再び胆道を塞いでしまいます。義姉の場合はそれまでが2カ月間でした。そしてまた黄疸が出ます。

 一度入れた金属ステントは回収できないので今度はその中にさらに細い金属ステントを入れることになります。その2度目のステントも、今度はわずか一か月で閉塞してしまいます。

 

 義姉はつごう4回のステント挿入を行い、最後はカバーのついたステントを入れて網目からがんが入り込むのを抑えようとしました。ただしこの段階になると管が極端に細くなります。

 10mmの胆管に2度・3度とステントを追加して最終的に6mmのステントが入ったとして、流れる胆汁が10分の6になるわけではありません。胆汁の流量は管の断面積に比例するので10の二乗分の6の二乗、つまり36%にまで落ちてしまうのです。すると今度は入り口で胆管が詰まるようになります。胆汁自体が粘液を含んでいますし、がん細胞から浸出する粘液もそこに加わるからです。

 こうしていよいよステントによる黄疸の緩和にも限界が見えてきます。

 

 やってもやってもうまくいかないステント挿入に嫌気をさした義姉は、ここで思い切った手段に出ます。この種の手術で権威と言われる医師をネットで探し出し、直接連絡をとったのです。主治医を見限ったような行為ですが、こういうことに関しては怯えの少ない人でした。

 

 

【希望の杖】

 全国的にも著名な医師の診察を電話一本で受けられたのは、まったくの幸運としか言いようがありません。大学教授でもノルマとして行わなければならない一般診察の枠が、たまたま空いていたのです。

 

 義姉は背に羽をつけて飛ぶように東京に向かい、5回目のステント挿入手術の計画を立ててきます。新たな主治医から「まず黄疸を消してから、そのあと抗がん剤治療を始めましょう」と言われ、それが義姉の希望の杖となります。さすが胆管がんの権威、まだまだがんに対する直接的な治療の策を持っていたのです。

 

 

                            (この稿、続く)