カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「私の気が小さいということなのかな?」~人間ドックの結果を受けて

 世の中の人たちは意外と自分の健康に無頓着だと最近、知った。
 それに比べて私は気が小さかったようだ。
 人間ドックでは結局おおきな問題はみつからなかったが、
 こんなふうに健康の階段を下りていくのは、やはり楽ではない。
 という話。(写真:フォトAC)

【世の中の人たちは、そこまで自分の健康に無頓着なの?】

 ウサギのミースケが死に向かっている時期、近所の女性が亡くなり、それが私と同い年だったので少しショックだったというお話はしました*1
 ご主人は35年前の乳がんの再発だろうとおしゃっていましたが、ちょっと驚いたのは、今回の事態が起こるまで、ほとんど検診らしい検診は受けていなかったということです。もちろん35年前の手術のあとは予後検査が行われていたでしょうが、年季明けののちはドックにも行っていなかったみたいで、不調が本格的になって病院に行ったところ手遅れだったと、そんなお話でした。
 通夜に伺ったあと、一緒に行った近所の人たちに訊くと、私よりやや年上のその人たちも人間ドックには行っていないようです。市の集団検診も受けていない。何らかの検査を受けているという人もいましたが、それは通院治療中だから検査を続けているというだけで、さまざまな項目に渡って調べているというわけではないようです。

 私自身は50歳になって以降は毎年欠かさずドックに通っています。80代半ばで健康オタクの義兄も忘れずに行っています。その連れ合いである義姉、妻の実姉は65歳のドックをキャンセルしてしまい、翌年受けたら手遅れの胆管癌で1年半後に亡くなっています。4年前のできごとです。もちろんキャンセルせずに受けていたら確実に発見され、助かったという話にはならないかもしれませんが、悔いは残さずに済んだのかもしれません。

 世の中には検診なんか受けないという人も大勢いますし、義姉のように簡単にキャンセルしてしまう人もいます。それなのに私は実に小まめに対応している――。
 日ごろは「死ぬのは怖くない、経験があるから」などとうそぶいているくせに、なんとも気の小さなことだと、何か情けなくなりました。

【私の健康の、二つの問題の行方】

 さて1月の末に受けた今年のドック*2、問題点は山ほどなのですが、いそいで対処すべきは2点。
 1点目は胃の出口に昔からあった「タコイボびらん」と呼ばれるもので、今回特に大きくなっているところから医師が「念のため」と言って組織を採取した件です。これについては2週間後、「陰性」の連絡がありました。
 実はその前にネットで調べたら、
「経験豊かな医師が内視鏡で見れば、それががんかどうかなんて一発で分かる。目で見てがんでなければ、がんではない。
 それなのに『念のための組織検査』というのは誰のための『念のため』か。自分の判断ミスや訴訟リスクの恐れから『念のため』であるなら、患者のためには100%安全とは言えない組織採取など、すべきではないのだ」
といった記事に出会い、タカをくくっていたのです。ですから陰性は織り込み済みですが、それでも調べてもらえばやはり安心です。追加検査費用6000円で買った安心とも言えます。

 2点目は持って行った便に二日連続で便潜血があったことです。これについてはドック最後の内科医による問診の際に予約を入れて、翌週、大腸の専門家に診てもらうとにしました。1年半前に大腸ポリープの手術をしてくれた医師です*3

 当日、診察室に入るなり医師はコンピュータのモニタを見ながら、
「出ちゃいましたか。もう少しもつと思ったんですけどねぇ」
と呟きます。そして、
「どうせ診たところで1ミリ~2ミリだと思うんですけどね」
 この「どうせ1ミリ~2ミリ」には、“検査したところで手術という話にはならず、1~2年様子を見て再検査にしましょうという話になるに違いない(面倒ですね)”と言った含みがあります。
「どうします? 5月くらいに検査します?」
 これが初めてだったら、「がんかもしれないものを3カ月も放置なんて!」と震えるところですが、慣れたものです。“がんのスイッチは容易に入らないし、入ってしまえば後戻りはない”のですから、慌てることもないのです。

 検査で異常だと言っているのに何もしないのも気持ち悪いですから、5月に内視鏡検査をする予約を入れて帰ってきました。

【どうでもいいけど、面倒なことは嫌だな】

 かつては健康を確認して「まだまだ無理が利くぞ!」と雄叫びを上げる気持ちで帰ってきた人間ドックですが、ここ十数年は背を踏むような感じです。今年もとりあえず決定的な問題もありませんでしたが、いつこの状況が終わるのか――。

 子どもの成長が停滞と飛躍を繰り返す不ぞろいの昇り階段であるように、老人の退潮はくだり階段を下りるようなものです。いつ大きく落ちるか分からない――。死ぬのは怖くありませんが、この歳で面倒なことに巻き込まれるのは嫌ですね。