カイト・カフェ

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「その後」〜ガン病棟より⑧

 私のガンは大別で四種類ある肺ガンのうち、二番目に悪性の大細胞ガンというものでした。名前の通り成長の早いガンで、発見されたときにはすでに巨大になっていて驚かされるガンだそうです。

 悪性度が高いというのは基本的に進行が速いということです。生存率を経年グラフにすると大細胞ガンの生存率は最初の3年間にガク、ガクと下がり、それ以降はフラットになります。つまりこのガンで死ぬ運命にある人は最初の3年間でほぼ全員亡くなっているのです。「5年生存率」のお話をしましたが、大細胞ガンについて3年生存率という言い方も可能なのです。
 手術後3年を経た西暦2000年、私はこのガンについてほぼ終わったなと思い、その後14年が経過していますから“あのガン”については治ったと考えてまず間違いないでしょう。
 危機は脱したのです。

 ただしお医者さんは簡単には手放してくれませんでした。術後3ヶ月に一回の予後検診がやがて半年に一回になり、さらに1年に一回となっても延々と続き、総計で15年目の夏、ようやくこんな話になります。
「15年経ちましたね。よく頑張りました。これで卒業ということにしましょう」
 しかし続けて、
「私も定年退職ですし」(それが理由かい!)
「もうここまで来ると再発の可能性は3%以下です」(まだあるんか?)
 もうこの歳までくれば再発よりも新たなガンを心配した方がよさそうです。いまさら再発と言われてもぴんと来ないほどの年月がたっていました。

 自分がガンにかかったことについては、ほとんど他人に話したことはありません。しかし人間ドックの結果を見せなければならない養護教諭や、特に必要があって話す場合もなくはありませんでした。そんな折、「やはり人生観は変わったでしょうね」といった話をされる方もおられます。しかし、どうなのでしょう。
 死は怖くない、特に二人の子が成人し、退職した今となってはなおさら怖くない、そういう確認ができたことはよかったのかもしれません。しかし何かが決定的に変わったということはなかったようなのです。

 妻の母親は百姓家の出で、早くに母親が死んだため幼いころから父親や弟の面倒を見て成長した苦労人です。学問はありませんが教養のある人で、その人は「人は病気では死なない」と言います。
「人は病気では死なない。寿命で死ぬ」

 たしかにそうかもしれません。私の母方の叔父は肝臓がんが発見されてわずか半年で亡くなり、別の、父方の伯父は余命半年と宣告されて皆でお別れに行ったのに、25年たった今も、ボケてますます盛んです(困ったもんだ)。ミュージシャンのジョニー大倉はホテルの7階から落ちても死なず、ガンで余命3ヶ月と宣告されて久しいのに現在も頑張っています。俳優の窪塚洋介もマンションの9階から転落して重傷で済み、三宅雪子衆議院議員は4歳の時ハワイのホテルで、45歳の時東京のマンションで、それぞれ4階から転落しても元気で活躍しています。寿命の尽きていない人は何があっても死なないのです。

 しかしそれと同時に、「寿命」といった、目に見えない、人間には動かしがたいものとは違う要素が、生き残る人とそうでない人との間にあるような気もするのです。

 

 (この稿、続く)