カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「4月2日、係会、係会、係会、係会・・・」~四月バカの話ではないが四月バカみたいな4月当初のできごと②

 年度当初の二日目。
 とにかく新体制のメンバーで1年分の見通しを立てなくてはならない。
 だから会議、会議、会議・・・。
 そして
自分のことは後回しになる。
 という話。(写真:フォトAC)

【二日目午前、係会1、係会2、係会3、係会4・・・、午後も会議、会議】

 怒涛のごとき4月の初日が終わり、2日目は多少ゆったりした時間が流れます。
 午前中の3時間余りを4コマから5コマに分けて、さまざまな係の会を同時に行います。例えば「9:00~9:30 係会Ⅰ 学校行事、人権・特別支援・国際理解・図書館」とあったりすると、それぞれの主任の先生が決めた場所に行って、一年間の計画などについて話し合います。学校行事の係でありながら特別支援教育の係でもあるといった係の重複する先生もいますから、その場合は主任どうしのやり取りでどちらに出るかを決めます。
 この係会で決まった内容が今日の午後、あるいは明日の午後以降の職員会議で、発表され審議されることになります。

 午後は職員会議を2時間、それから始業式以降の具体的で細かな動きについて詰める学年会が2時間、時間が余れば学級の事務・準備ということになります。でも計算が合わないでしょ? 職員会議と学年会が2時間ずつなら、午後1時から始めても退勤時刻になってしまいます。

 昨日は時間内に収まったのに今日は収まらない。それは以前、新年度の初日に転任・新任職員の歓迎会という名の飲み会を置いたからです。自家用車を自宅に置いてくる先生のことも考え、退勤時刻は絶対に守らなければならない。それが初日のお約束でした。だから時間内にすべてが収まるようになったのです。
 年度初日の歓迎会という文化は、コロナ禍もあっていったん滅びましたが、今年あたりはどうだったのでしょう?

【学校規模が小さいとかえってたいへん】

 ちなみに、長年いくつかの学校を渡り歩いてきて分かったのですが、係・委員会と呼ばれるものの数は学校規模の大小にかかわらず、だいたい60前後と相場が決まっているみたいです。考えてみればそれも当たり前で、小さな学校は国語係がいらないとか、生徒指導担当が必要ないといったことはなく、学校という組織をきちんと動かしていくための係・委員会はだいたい似たり寄ったりなのです。すると何が起こるかというと--。

 私は初任の学校が全校生徒1300人、教職員数58名という大校でしたので単純に計算すれば一人一役。しかしたいていの係は担当が一人という訳にはいきませんのであちこちで人数を増やすと、結局ひとりで五つほどの係・委員会に所属することになります。教職がマルチタスクと言われるのはそのためです。係ごとに”上司”がいます。ただし自分が主任の係はひとつだけ済みます。
 私は「資料室係」と言って倉庫みたいな部屋の管理をする係。一年に一度、夏休み中に簡単な掃除をするだけで終わりました。

 何年か後、今度は全校児童100名弱、全学年各1クラスといった小さな小学校に赴任しましたが、管理職と事務職を除く職員は6名。それで60あまりの係・委員会の主任を振り分けますから、ひとり10主任くらいになってしまい、一クラスの児童が10数名で学級事務は楽なのに、係の方は年じゅう主任仕事をしているみたいでまったく気が抜けませんでした。係・委員会には対外的で責任の重い仕事も少なくありませんから、小さな学校もそれなりに大変なのです。

【出発準備の職員間格差3種】

 二日目の日程が終わったところで、
「さて、学級の準備もしなくちゃ」
と手を付け始めると、この時点ですでに先生方の間に大きな格差が広がっていることに気づかされます。どこで差がついたのか――。
 昨日のことを思い出してみると、転任・新任の先生方が校内巡りをしたり地域の主な場所(JAだの病院だの)にあいさつ回りをしたりしていた時間、残留組の先生たちにはこれといった仕事がなく、暇だったことがわかります。合わせると2~3時間にもなろうという大きな時間、残留の先生たちは学級の事務仕事をしていたのです。名簿をチェックしたり教室を飾り付けたり、ロッカーや下足箱に名前のシールを貼ったりーー。
 
 転任してきた経験ある先生方はそのあたりを十分承知していますから、水を開けられていることに多少イライラしながらも、心の中では○○時までにあれをやって○○時からこっちにも手を付け、あれとこれは後日に回してと、何となく計算しているのです。
 ところが新任の先生はとりあえず何が起こっているかも理解できていません。現在何が進んでいて、自分はどこが遅れていて、いま何が必要なのか、そういったことも一切わかりません。
 いちいちが「人のふり見て~」なので、ひとつひとつが確実に遅れるのです。遅れてやり始め、慣れていないからやはり遅い。

【なかなか助けてあげられない】

 この辺りが今は違ってきているのかもしれませんが、昔の学校には新任の教師を目の隅でずっと追っているベテランの先生というのが、学年内にひとりは必ずいたのです。そしてちょくちょく声をかけて次にやることを教えてくれたり一緒にやってくれたりしました。ところが今はなかなかそういう訳にはいきません。
 人情が希薄になったという訳ではありません。どんなベテランであってもとりあえず自分のことで手いっぱい、若い先生のことは気になっても昔の教師ほど近くにいてやれる条件がないのです。そのツケは必ず回ってきますから、お互いにとって気の毒な時代になっているということです。
(この稿、続く)