ジャイナ教の人々

 伝承によると人生の無常を知ったシャカ(ゴータマ・シッダールタ)は29歳で出家すると、六師外道(りくしげどう:仏教から見て“道を外した”6人の師)と呼ばれる当時のインドの思想家たちから教えを受け、それらすべてに失望して一人苦行に入ったとされています(そののち悟りを開いて野に下る)。この六師外道の一人がマハーヴィーラで、のちにこの人の開いた宗教はジャイナ教と呼ばれ、現在もインドで強い力を持っています。

 教義に触れると厄介なのでその特徴を簡単に言うと「絶対的不殺生・禁欲主義・苦行主義」です。ジャイナ教は動植物のみならず水・地・火・風などにも“生命”を発見しましたから「絶対的不殺生」は限界まで達します。

 徹底したジャイナ教徒は服を着ることができません。“服”は植物や動物の命を絶たないと作れないからです。彼らは無意識のうちに空気中の微生物を吸い込んだりしないようにマスクをつけ、地に這う生物を踏みつぶさぬようほうきで掃きながら歩いたと言われています。この人たちは裸形派と呼ばれ、行きつく理想は宗教的餓死です。

 一方、不殺生による餓死は見方によれば(ジャイナ教徒はこの“見方によれば”という考え方が大好きです)緩慢な自己の殺生ですから、それを認めない立場の人々も現れます。彼らは服を着るジャイナ教徒で「白衣(びゃくえ)派」と呼ばれています。

 しかし両者の違いは「植物を殺して服を着る」か「自分を殺しても服は着ない」かといった実践上の問題で、根本的な教義の差はありません。

 ジャイナ教徒は不殺生を旨としますから農林水産業には就けません。ほとんどが商業を生業とし富を蓄えたため、それが現在でも強い力を持っている理由の一つとなっています。

 私がジャイナ教に強く惹かれるのは、この人たちにとっての不殺生が身体的行為のみならず、言語的行為、心理的行為にも及ぶからです。人を傷つける言葉を発することや、人には気づかれなくとも心の中で他者を傷つけることも、ジャイナ教徒は「殺生」と考えて厳しく排除します。

 しかし宗教的餓死を選択しない限り、人間は完全な不殺生を貫き通すことはできません。裏を返せば私たちは不断に“殺生”をし続けているので、普通に生きている限りは“殺し続ける”ことをやめられません。そしてそこから導き出される論理的帰結は、

“だから日頃から人には親切にしておけ”

ということです。

 ジャイナ教がそういうことを言っているのかどうかは知りません。しかし私は人権教育を考えるときにいつも心の隅でジャイナ教徒を意識し、“自分が殺し続けていること”“だから日頃から人には親切にしておけ”ということを忘れないようにしたいと思っています。