台風一家

 台風4号が通り過ぎて行きました。日本ではあまり使用しませんが、4号には「グチョル」という名前がついていて、日本以外ではけっこう使われているみたいです。「グチョル」はミクロネシアの言葉で「うこん」のことです(注意! 読み方、間違えないように)。

 いまや天気予報も抜群の的中率で、台風の進路などリアルタイムで伝わってきます。しかし私が子どものころはそうではなく、台風は「こっちに来て、あっちに行くらしい」、その程度のものでした。しかし「来るらしい」「行くらしい」程度の台風に対しても、家の備えはその都度十分にしなくてはなりません。というのは、とにかく建物が弱かったからです。

 当時私が住んでいたのはコンクリートブロックを積み上げてその表面をモルタルで包んだ市営住宅で、建物自体は堅牢ですが窓がだめです。だいぶ傷んだ木製の枠に昔の薄っぺらなガラスがはめ込んであるだけなので、わずかな風にもがたがた揺れ、強風に会うとたちまち壊れてしまいそうだったのです。

 そこで台風が近づいて来ると近所の父親たちはいっせいに職場から帰宅し、窓に板を打ち付けます。板といってもそんな立派なものがあるわけではなく、燃料用に安く買ってきた端材なのであちこちに隙間ができます。しかしなんとかパズルのように組み合わせてできるだけ隙を埋め、窓を守ろうとするのです。

 もちろんそれでも相当な風が入ってくるので今度は内側から窓全体を押さえつけます。部屋の畳を全部上げ、窓に寄せて立て懸けるのです。そうやって重みをかけ、窓の揺れを抑えるのです。しかしそれでも風が強くなると窓と一緒に畳も小刻みに揺れました。

 そこまでやると父は出かけてしまいます。市役所の職員でしたので役所に詰めなければなりません。残された母と私と四つ年下の弟は、最低の荷物を詰め込んだリュックを背負い、いつでも避難できる態勢をとって待ちます。

 いつ停電になってもいいように、ロウソクとマッチを目の前に置き、ラジオに聞き入ります。

 それが台風の近付いてきたときの一家の過ごし方でした。

 今思うと戦中育ちの母にとってはむしろ日常に近い風景だったのかもしれませんが、子どもだった私たちには、とてもドキドキするステキな体験でした。

「たいふういっか」と聞くと、思い出すのはそんな我が家の「台風一家」の姿です。