鏡に映った顔は左右が反転しているのに上下が反転しないのはなぜだろう。そんなふうに考えたことはありませんか?
これに関する一番軽率な答えは、「目が左右に並んで着いているから」というものです。なぜ軽率かというと、片目をつむって一方の眼だけで見ても状況は変わりないからです。
そこで今度は右のような図を持ちだして、「右の方から入ってきた光は鏡の(中心線より)右寄りの位置で反射して目に入り、左の方から入ってきた光は左寄りで反射して目に入るから、左右反転してしまう」といった話になります。これだと首を90°傾けた時も「上」は上、「下」は下のままなので何となく理解できたような気がします。しかし納得はできません。何かごまかされた気がしますよね。
そこで私は何度も首を90°傾けたり、股のぞきで逆さに鏡を見たり、片目で見たり両目で見たり、様々に実験しながら一生懸命考えたのですが、やはりどうしても分からないのです。もしかしたら“左右”と“上下”は同じものを縦横にしたのではなく、まったく異なった概念なのかもしれない、そんなことまで考えて思案に暮れていました。
ところが、この問題に全く違う観点からアプローチし、解決に至った人たちがいたのです。それは認知心理学の学者たちです。
彼らの最初のテーマは、「レンズの構造から考えて、目は、自分が捉えた映像を網膜に逆さに焼き付けているはずなのに、なぜ私たちは正常にものを見ることができるのだろう」というものでした。やはり科学者ですね。こういった方向から始まります。
これに関して最初の、そして決定的な実験をしたのはアメリカのストラットンという学者です。彼は上下左右すべてが逆さまに見える「逆さめがね」というものを開発し、それをつけたままで生活し始めたのです。19世紀の世紀末のことです。
私も左右だけ逆転する「左右逆さめがね」というのをかけたことがありますが、かなり大変でした。左側にある(左側に見える)ものを取るのに右方向に手を伸ばさなければならないからです。しかも右手を伸ばすと左から手が出てくるのですから、かなり気味の悪い経験でもありました。それが左右だけでなく「上下左右逆さめがね」となるととんでもなく大変で、しばらくは酷い船酔いみたいになってゲーゲー嘔吐し始めるのだそうです。
苦労しながらもストラットンが最初にやったのは、視覚から得られる情報を無視して、頭の中にある“経験”を頼りに動くということです。左上にフォークが見えても、記憶では右下にあるはずなのでそこに手を伸ばす、そんなやり方です。その方法に慣れると、生活はなんとか維持できるようになったといいます。
そして4〜5日たったある日、彼はとんでもない体験をします。それはそのとき一緒にいた友人の、左右上下逆さまの映像の中でパイプから出たタバコの煙だけが、突然“下から上”に流れ始めたという事件なのです。その瞬間、映像の反転が始まったのです。
それからいくらもしないうちにすべてが正しく見えるようになり、生活の困難が全くなくなりました。ただし困ったのは、誰かから「そのめがねをかけた状態でどんなふうに見える」と聞かれてめがねをかけていたことを思い出すと、一瞬にしてすべてが左右上下反転した元の映像に戻ってしまうことだったといいます。
さてところで、実験が終了して晴れてめがねを外したとき、何が起こったと思います?(*) 時間がなくなりました。それについては、また改めてお話しましょう。
最初の問い「鏡に映った顔は左右が反転しているのに上下が反転しないのはなぜだろう」の答えはしたがってこうなります。
「それが一番便利なので、脳は映像をそのように書き換える」
左右反転しないと、たぶん女性は口紅を引くのにも難渋するはずです。
*ブログをご覧の皆様には答えをお教えします。
その答えは、
「しばらくは現実の風景が上下左右逆さに見えて、軽い船酔いの感じがあった。しかし数時間もしないうちに、正しい映像を取り戻した」です。
めがねをかけている間、脳は必死の努力をしていたのです。