カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ゴッホ」~ゴッホはどうしてゴッホとなったか

 東京に用事があったついでに国立新美術館で行われていた「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」を観てきました。

f:id:kite-cafe:20210801131604j:plain

 テーマにあるようにゴッホの個人展でありながらゴッホの成り立ちを見るということで、彼に影響を与えた、ミレーをはじめとするたくさんの画家たちの作品も同時に展示されるという珍しい展覧会でした。

 私はこれまでゴッホがなぜ偉大なのか、ゴッホの絵がどうしてすばらしいのか分からずにいました。レモンイエローのうねるようなタッチとか、歪んだ家の形とかが、さっぱりいいとは思えないのです。しかしゴッホを神のように信奉するファンがたくさんいるのですから絶対に何かある、それは確実です。何かすばらしいものがあるはずなのに私には分からない、そういうことが私は苦手です。スキーもテニスもモーツァルトサルトル(こんな人、もう知りませんよね)も、そんな動機から一生懸命学んだものです。

 ただし絵画については、その良さを理解するのはとても簡単だということは、経験的に知っていました。その人の個人展を見に行けば必ず理解できるのです。モネもピカソゴーギャンもそうして手に入れた画家たちです(ただし結局分からない場合もあります。マグリットがその代表です。少しもよくなかった)。

 本物の作品に触れることには決定的な意味があります。画集や写真では色合いや質感がきちんと表現されないということもありますが、なにより決定的なのは作品の大きさです。
 モネの巨大な絵のすごさを、小さな画集に納めることはできません。逆にダリの絵の異常な小ささに触れないと、そのほんとうの恐ろしさは理解できないのです。ミロの絵などは一部に「大きさ関係ないだろう」と思うものがありますが、実際に見てみると違います。

 第二に、編年体に作品が並べられるとその芸術家が何を求め、何を考えてそうした表現に行き着いたのか、表現の価値はどこにあるのか、それが良く分かるのです。
 今回の「ゴッホ展」はその典型的な例で、ドラクロアの筆致とミレーの態度にあこがれて画家になったゴッホは、というと当然絵は農民を描いた暗いものとなってきますが、それがゴッホの出発点です。そしてそれは、普通私たちの見ることのないゴッホです。

 5年ほど暗い絵と格闘して、やがてパリに移り、そこからゴッホの絵は劇的に変わります。彼に影響を与えた第一は、印象派の明るい表現、点描による視覚混合(パレットやキャンバスの上で絵の具を混ぜるのではなく、カラーテレビのように目の中で色を混ぜるのです)、第二に350点も集めた浮世絵(原色を多用する明るい表現、平面的で単純なしかも風景のど真ん中を樹木が遮るといった大胆な表現)、第三にドラクロアの正当な継承者と見られたモンティセリの厚塗り、他にもドガゴーギャンロートレックといった当時の最先端の画家たちの影響の下に、ゴッホのあの絵は完成していきます。

 画家としては1880年から90年までのわずか10年余りしか活動できなかったゴッホですが、その間に900点あまりの油絵と1100点を越える素描を残したといわれます。にもかかわらず、生きているうちに売れたのは「赤い葡萄畑」の1点だけでした。

 その生涯を見ることも含め、少し遠いですが「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」、機会があれば行ってみたらいかがでしょう。12月20日までやっています(会場 国立新美術館 東京・六本木)。