カイト・カフェ

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「心理の壁」~乗り越えるべき壁もあれば、乗り越えてはいけない心の壁もある

 スポーツというのは不思議なもので、たとえば走り高跳びで1m20cmがどうしても跳べないというような場合、それでも諦めずに毎日跳んでいるといつかクリアできる、そして1度跳んでしまうと次からはなぜあの1m20cmがあれほど難しかったのか首をかしげるくらいに簡単に跳べるようになる、そして今度は次の1m25cmが鉄壁のように前に立ちはだかる、というようなことがよく起こります。鉄棒もしかり、跳び箱もしかりです。

 先日のテレビで見たのは陸上競技の1マイルレースの話です。
 1マイルレースでは1923年にフィンランドのヌルミが 4分10秒3の記録を樹立、それが31年間も破られなかったのです(このときのヌルミの記録も37年ぶりの更新でした)。人間はおそらく4分を切ることはないだろうということで、その「4分」は「brick wall(れんがの壁)」と言われていました。ところが1954年5月にイギリスのロジャー・バニスター3分59秒4で走ると、翌月にはライバルのジョン・ランディ(オーストラリア)が3分58秒とあっさり記録を更新し、なんとその年だけで23人もが「brick wall」を突破してしまったのです。「4分を切ることが人間に可能だ」とバニスターが証明した時、一気にその可能性に向けて選手がなだれ込んできたのです。

 それに似たことが政治の世界にもあります。たとえば1945年6月に原子爆弾の製造に携わった7人の科学者が提出したフランク・レポートは、日本に対して無警告で原子爆弾を投下することに反対していますが、理由の一つは「アメリカが原爆製造に成功した」と知ったら第二次大戦後の世界ではあっという間に核開発競争が始まり、コントロールが効かなくなるという予測からでした。原爆製造が「可能性」であるうちは核開発競争は始まらないが、実際に製造されたとなると一斉になだれ込むだろうと考えたのです。そして一案として、アメリカが核保有国であること自体を秘密にしてしまおうとも考えたようです。

 またこれとは別に思いだすのが、1973年前後に日本の各地で起こった「コインロッカー・ベイビー」の問題です。大都市の駅のコインロッカーに生まれたばかりの赤ん坊を遺棄するという極めて残忍でユニークな犯罪はあっという間に全国に広がり、この年だけで43件も起こっています。その後、警察による巡視が徹底され防犯カメラの設置などによりこの「コインロッカー・ベイビー」はなくなりましたが、それから40年近くたった現在、コインロッカーに子どもが捨てられたとい話はほとんど(と言うかまったく)聞きません。遺棄を防ぐ手立てが徹底したのではありません。「子どもをコインロッカーに捨てる」という発想が共有されなくなって「心理の壁」となり遮っているのです。

 なぜ最近これほど児童虐待が増えたのかと考えるときも、この「心理の壁」はヒントを与えてくれます。虐待によって子どもが殺されたという話を聞いた時、何人かの人の心の中で、「子どもは愛さなければならない、子どもは死ぬまで殴ったり食事を与えなかったり裸で寒空にさらしたりしてはいけない」といった、考えるまでもない「心理の壁」が、突破されるのです。「ああ、そんな欲望を持つのは自分だけではない、自分だけが悪逆非道のわけではない」という安心感が、タガをひとつずつはずしていく、そんな気がするのです。

 不登校や引きこもりも、大昔、そうした心性をもった子どもや大人がいなかったのではなく、「学校や会社にはいくのが当たり前」といった「心理の壁」が立ちはだかっていただけなのかもしれません。

 一昨日も札幌で中2の女子が自殺したという報道がありました。「心理の壁」突破という意味で、私はとても心配しています。