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「『怖い絵展』の絵が怖くなかった話」〜展覧会のハシゴをしてきた1

 先週木曜日(11月9日)、突然のことがあって東京に行ってきました。ところがせっかく泊りがけで行ったのに用件そのものは木曜日中に終わってしまい、そこで丸々空いてしまった金曜日を美術館巡りに当てました。本当は今度の日曜日(19日)に予定していたのを、前倒しにしたのです。

 行くつもりだったのは上野の森美術館「怖い絵展」、そして国立博物館「運慶展」です。どちらも人気の展覧会ですので、予定の日曜日より金曜日の方が楽だと考えました。

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 さらにふたつにひとつだと最近繰り返しテレビで扱われた「怖い絵展」の方がより混みそうなので、こちらにまず開館30分前の9時半に入って、午後は「運慶」に充てようと計画したのですが出だしで躓きます。美術館に行く前に帰りの指定席をとっておこうと思のがうまくできなかったのです。もはや新しい機械の取り扱いに、苦労する年齢になってしまいました。

 そのため美術館前に着いたのが10時。しかもこの日から突然開館時間が1時間繰り上げになっていて、すでに長蛇の列。
 40分待ちの掲示できっかり40分待ちました。

 40分と言われて本当に40分で入れた係員の手際の良さ(ストップウォッチで計りながら一定数を入場させていた)にも驚きましたが、そのあとの音声ガイドの貸出窓口でも長蛇の列が続いていて驚かされました。音声ガイドでそんな長い列を見たのは初めてです(待ち時間15分)。 「怖い絵展」はそういう展覧会のなのです。絵の背後にある歴史や事実を知らないと怖くなれない。

f:id:kite-cafe:20201212151328j:plain 例えば上の「チャールズ1世の幸福だった日々」は、“中央に立つチャールズ1世が数年後、清教徒革命によって断頭台に立つことになる”という事実を知っていないと単なる王侯貴族の舟遊びにしか見えません。この穏やかさに、不幸の影が忍び寄ってこないのです。

 あるいは「不幸な家族(自殺)」は、椅子に座る老婆とその膝に取りすがるようにして眠る女性の絵ですが、副題の「自殺」がなければ、あるいは解説によって画面左下の火鉢に気づかなければ、何の恐ろしさも伝わって来ません。単に仲の良い母娘の居眠りの風景です。

 そこで音声ガイドを借りる列が長くなり、会場内の各絵画の前では説明文を読むために人の波がグンと壁に近づき、そして動かない。サイズの小さな絵が多かったこともあり、とにかく観客の移動が進まない、それも混雑の大きな原因のひとつでした。

【「怖い絵展」感想】

 さて、その上で1時間半ほどかかって回り終えた「怖い絵展」ですが、結論から言えばあまり怖くなかった、面白くもなかった。

 たしかに展覧会の宣伝の前面に押し出されたいくつかの作品、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」やオデッセウスとセイレーン」などは迫力も見応えもあるものでしたが、そもそも“解説がなければ心動かされない絵”というものはもしかしたらその程度の絵、ということなのかもしれません。純粋に絵を見たとき、なんとなく物足りないのです。

 もちろん今回の展覧会の中にもすごい作品はありました。
 セザンヌの「殺人」は名も知れぬ人々に極めて私的な殺人現場を、すさまじい迫力で描いたものです。モローの「ソドムの天使」もなにかSF的な雰囲気を漂わせて恐ろしく、ムンクの「森へ」は言い尽くせぬ寂寥感をたたえて、自殺をするために森へ向かうふたつの後ろ姿を描いています。
 私が事大主義なのかもしれません。しかしやはりセザンヌやモローやムンクといった名の知れた画家たちは違うのです。

 歴史もので言えば(今回展示された作品の中にはありませんが)ドラクロア「サルナダパールの死」は、サルナダパールがいつの時代のどこの人で、どんな歴史的場面が描かれているか、それらをまったく知らなくても十分恐ろしい、おぞましくも凄惨な絵です。
 風景画で言えばクールベの描く海などは、果てしない寂寥感で心が動かされます。  そういった意味で「怖い絵展」の多くの作品は、1ランク落ちるものかな、という気もしました。

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 もっとも展覧会場の出口付近では若い女性たちが「すごかったね」「おもしろかったね」とか言っていましたし、美術館外壁の大看板に掲示された作品などはそれなりに優れたものですから、最初から目的の絵を決めてそれを観に行くという観方もあります。
 ただ、都合1時間も待ったうえに大混雑の中を鑑賞して歩くことを考えると、私はもう一度行こうという気にはなれません。

【さて次へ】

 上野の森美術館を出て次は「運慶」。
 昼食のことも気になりましたが帰りの電車のこともあり、最悪、昼飯抜きでもいいやと思って向かった国立博物館の前で、私はウンザリするような掲示を見ます。
「ただ今の待ち時間、50分」

 帰りのことや昼食のことを考えるととてもではありませんが無視できる時間ではありません。
 そこで踵を返して公園の案内板に戻り、東京都美術館国立西洋美術館の特別展を調べると、前者が「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」、後者が「北斎ジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」。
 ゴッホ展はこれまで何回も観てきていますから、かえって気楽で、さっさと見て簡単に立ち去ることもできるかな――そう思って足を東京都美術館の方に向けました。ところがこれがとんでもなくいい展覧会だったのです。

(この稿、続く)