金曜日の会の最中、黒澤先生のお話から長いこと忘れていた井上靖の「天平の甍」のことを思い出しました。昔は国語の教科書に出てきた印象深い話なので、誰とでも共通の話題として話せたのですがいつの間にかなくなってしまったようです。
「天平の甍」というのは奈良時代の物語で、栄叡(ようえい)・普照(ふしょう)という二人の留学僧が10年の歳月をかけ、3度の失敗を乗り越えて唐の高僧・鑑真和上を日本に連れて来る壮大な物語です。栄叡・普照というのは実在の人ですが、基本的なことしか分かっておらず、小説全体は井上靖のオリジナルです。
その二人の物語はそれだけでも感動的なのですが、その中に、本筋とは関わりのない業行という先輩留学僧が出てきて、私はこの人にこそ惹かれます。
エリートとして唐に渡った業行は、程なく自分に大した才能がなく、日本に持ち帰るものがないことを知ります。そこで彼は生涯をかけて、中国にある経典の書写に励むのです。自分自身は役に立たなくても、日本に未到来の経典をもたらすことで、自分の生きた証としようとするのです。
遣唐使船というのは常に4隻の船団として移動しますが、それは当時、東シナ海を旅するというのがほとんどギャンブル並みの危険な旅で、4隻のいずれかが中国に着き、そして帰れれば良いというものだったからです。
業行は何万巻もの経典を船に積み込みますが、船の責任者は経典を分けることを、そして業行も別の船に乗ることを提案します。それらのいずれかひとつが日本に着くことに価値があると考えたからです。しかし業行は頑としてこれを拒否し、経典と自分を同じ船に乗せます。そしてその船が遭難し、海の藻屑と消えるのです。業行の生涯の業績は、日本に何の影響も与えず完全に消滅するのです。
世界の歴史を見るとそういうことはたくさんあります。さまざまな薬品から黄金を生み出そうとした錬金術師たちも、金を生み出すという意味では無意味な生涯を終えました。しかしそうした無意味な死を重ねる中から、人類の進歩は生み出されてきたのです。
私たちのほとんどは、直接人類の進歩に寄与することはありません。しかし私たちの生真面目な努力がなければ、進歩の基盤は崩れてしまいます。私はそんなふうに思っています。