カイト・カフェ

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「高機能自閉、しかし症状は重い」~軽いが重いという矛盾の意味

 その子ははじめ、場面緘黙(ばめんかんもく:特定の場所、例えば学校だけで、ほとんどものを言わない、しゃべれない)という触れ込みで入学してきました。そこにやがて「不登校」が重なり、しばらくして家庭内暴力が加わってさらに混乱が深まります。

 病院でもこれといった方向は示されず、相当に優秀だったはずの特別支援学級の担任の理解も届きません。私にとってもはじめて見るタイプの子でした。とにかく、通常の場面緘黙不登校なのか、障害なのか病気なのか、まったく分からないのです。

 そんなこんなで最悪の状況のまま3年ほど経って、ようやくK大学病院のS先生に診てもらうことになったのですが、そこで下された診断は「高機能自閉、しかし症状は重い」。そこでまた、私たちは首を傾げます。

「高機能自閉」は症状が軽いから「高機能(一般の人とほとんど変わりない)」というのであって、「症状は重い」なら高機能であるはずもない、そう考えたのです。

 ところが保護者の方はある意味この世界の素人でしたのでむしろ素直で、「高機能自閉」といわれてその種の本を読みあさり、本に書かれている通りの対応で家庭生活を始めてしまったのです。そして2〜3ヶ月のち、環境の整った家庭の中で、その子はどんどん自閉の子らしい姿に変わり、それなりに落ち着いてしまいます。

「高機能自閉、しかし症状は重い」は、「自閉でも高機能の部類に入り問題は少ないが、周囲の間違った対応のために混乱は大きく、状況は非常に悪くなってしまっている」という意味で、周囲が整えられるとどんどん改善されて行く、ということだったのです。それから先は、私たちのある程度知っている世界の物語になります。

 時に、子どもに診断名をつけることを嫌う人がいます。レッテルを貼ることになる、その子の見方が狭まるとか、さまざまな理由があります。しかし先の経験をしてから、とにかく早く専門家に見せたい、その上で何もなかったらそれはそれでいいではないかと思うようになりました。それが私の立場です。