真面目に聞かない

 教員はもともとまじめな人が多いですし、相手の言い分を良く聞きなさいという躾を繰り返しうけていますから、子どもの話を聞き流すということが容易にできません。しかししっかり聞けばいいものではないと言うことを最近知りました。

 たとえばある種の発達障害の子は、妙なことにこだわります。「○○ちゃんがいるから教室には行けない」「給食に出たタマゴが胸に埋め込まれたらしい」とかいったことです。そこで私たちはついつい○○チャンが気に入らないのはなぜかとか聞いたり、○○ちゃんとの関係を修復しようとしたり、あるいはタマゴが胸に埋め込まれていないことを冷静に、論理的に説明しようとしたりします。しかしそれは、相手のこだわりに手を貸し、こだわりを深めることなのだと言うのです。

 自身がアスペルガーであるニキ・リンコの著作に「自閉っこ 深読みしなけりゃうまくいく」というものがあります。この題名だけでも秀逸なのですが、中の一章の表題は「実は大変浅いワケがある自閉っ子の振る舞い」となっています。これらが言おうとしていることは、『こだわり』というスイッチは何か特別の理由があるので入るのではなく、ただ入ってしまう、だからそのこと自体には大した意味はないということです。細かく丁寧に追究する価値のあるものではありません。

 ではそんなとき、どんな対応をしたら良いのか――答えは「できるだけ早く話をそらし、目を未来に向けさせる」なのだそうです。具体的には「あ、そう・・・ところでね」と言うこと。「たいへんだね」とも「気持ちが分かる」とも言わず肯定も否定もしない、だから「あ、そう」なのです。

 不登校の初期段階で、子どもが学校に行かないことについて問い詰めすぎると、思わぬものが出てくることがあります。おそらく不登校のほんとうの理由はかなり複合的で複雑に絡み合っています。しかしそれを適切に説明できる子はめったにいません。複雑で難しい心の綾をきちんと語れるようなら、そもそも不登校になったりしないのです。私の担任した最も優秀な不登校の生徒は、きっぱりと一言「理由はない。とにかく行きたくない」そう言っておしまいでした。理由はないというよりは説明不能という意味でしょう。それが正解です。ところがそんなことで何得してくれる親はそうはいません。学校に行かないことについて親が納得してくれる答えは、どうやら二つしかないのです。

 ひとつは「イジメ」、もうひとつは「担任の横暴」です。この二つが出てくると一応、親は登校を強制しなくなります。しかし学校にとってこれほど厄介なことはありません。誰の目にも一方が完全に悪いといったイジメはそうはなく、多くは人間関係のトラブルそのもので流動的なものです(だからしばしば「一夜にしていじめる側といじめられる側が入れ替わる」と言われたりします)。また原因は担任だと言われると、担任からの指導・アプローチがまったくできなくなってしまいます。

「これがイジメと言えるのか?」といった例や「これを横暴といわれたら指導はできないだろ」と思うことも再三です。

 もちろんほんとうに一方的なイジメが原因の不登校もあります。担任が異常な指導をしている場合もあります。深刻な身体の病気を抱えていて、だから朝、体が動かないということもあります。あるいはうつ病統合失調症といった心の病なのもかもしれません。家庭に問題を抱えていて学校どころではないといった場合もあるでしょう。したがってまず子どもの言い分を信じるところからはじめなくてはならない、それは当然です。

 しかしそうした手続きを踏んでもなお分からない不登校に関しては、原因追究→原因除去→回復という経路を考えるのではなく、とにかくその子が登校できる条件をつくり、学校に「来ていただく」(ちょっと不本意ですが)ことが始めるほうがはるかに早い場合も少なくないように思います。