カイト・カフェ

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「『発達障害』とのつきあい」~少しまとめてみます

 発達障害について、私がどうかかわってきたか、少しまとめておきたいと思います。

 記憶によれば、ADHDを含む広義の発達障害が最初に注目されたのは、平成元年(1989)の「女子高生コンクリート詰め殺人事件」のときです。そのころは「微細脳機能障害」という名前でした。「道徳性のLDというものがある」といった説明でしたのでずいぶん眉唾な感じがしたのを覚えています。

 1997年に「のび太ジャイアン症候群」という優れた著作が世に出て、ADHDは俄然注目されます。私たちの長い教員生活の中でうまく対応できなかった子どもたちの類型のひとつが、そこにあったからです。私なぞは生徒指導上の問題の大半がADHDとLD及びその2次障害で解けると思い込んだ時期でもあります。

 ただし同時に、「“障害”という名でふんぞり返られては困る」といった思いもありました。そのころは躾さえしっかりすれば克服できるものだと考えていたからです。

 ところがその翌年(1998年)、私はさっそくADHDやLDでは説明できない奇妙な子の担任になります。わがままで身勝手、プライドは高いのに何もしないといった子です。底意地が悪く、授業中に臭いオナラをしてはみんなが嫌がるのを「ヒッヒッヒ」と笑って見ています。私はお笑いやマンガ以外で「ヒッヒッヒ」と笑う人間を初めて見ました。それだけでもずいぶん驚いたものです(地団太を踏むというマンガ的行為がほんとうにあるということも、その子を通じて初めて知りました)。
 空間把握がまるでダメで、跳び箱がうまく跳べないだけなく、サッカーの練習もままなりません。パスを出してやるとボールに追いつかないならまだしも、ボールコースの先まで行ってしまい、振り返った後ろを球がコロコロと転がっていきます。悲しいくらいに不器用なのです。
 絵というものは描くことができません。歌も歌わず口パクでしのぎます。そのくせ好きなことには異常に打ち込むので、一部の知識がとてつもなく膨らみます。しかしモーツアルトの曲をケッヘル番号付きで片端説明するようでは友達もできません。
 およそ1年半、すったもんだした挙句、にっちもさっちも行かなくなって相談機関にかけたらそこで説明されたのがアスペルガー症候群です。

 カナータイプの自閉症はかなり昔から知られていましたが、アクペルガータイプの自閉症が注目されたのはそのころから、本当にここ10年余りのことです。
 2000年の豊川市主婦殺人事件や2003年の長崎男児誘拐殺人事件によって有名になり、2004年の発達障害者支援法の成立によって、学校でも本格的に研修し取り組むようになってきました。

 教師としては幸いなことに、前述の“彼”のおかげで私は常にこうした流れの一歩先で学ぶことができました。ただしだからと言って問題解決の核心をつかんだわけではありません。この世界、いくら掘っても掘っても掘りつくすことはありません。勉強を始めたころは頑張ればさまざまな対処法が見つかるはずだと思っていましたが、むしろ課題は深まるばかりだったのです。

 最初「微細脳機能障害」と呼ばれたものがやがて「高機能広汎性発達障害」と呼ばれるようになり「高機能自閉」とか「発達障害」とかさまざまに概念が錯綜しましたが、結局「発達障害者支援法の定義にしたがい、
「『発達障害』とは、自閉症アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害学習障害注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害」
といくつかの用語が定着しました。しかし実際には医師や学者によって用語の扱いはまちまちです。