必要があって昨年の記録を調べたのですが、驚いたことに年間に39時間も道徳の授業をやっているクラスが三つもありました。一番少ないクラスでも36時間やっているからたいしたものです。
さて、
すべての場合に当てはまるわけではないのですが、人が道徳的行動を行うには三つのハードルを越える必要がある、とそんなふうに思っています。
たとえば、目の不自由な人が道路を渡れなくて困っているとき、それを助けるためには
- その人が困っていることに気づく、
- 援助のために声をかける(または最初の行動を起こす)、
- どのように道路を渡らせるか(手をつなぐのか、肩に手を添えるのか、肘をつかませるのか、歩く速度はどのくらいか)を知っている、
という三つの条件が必要です。
一番難しいのは言うまでなく「1」ですが、もしかしたら気づくことはできても、あとの二つができないばかりに手をこまねいている子も多いのかもしれません。昨日はそんなことを考えました。
「あ、助けてやらなくちゃ」と思ったところから次の一言が出ない、次の行動に移せない、そんな子にはたくさんの経験が必要です。道徳の授業は技能を育てる場ではありませんが、時にはそういうことも必要だな、と思ったのです。
ロールプレイや訓練が役立つ場、ということです。