危機に際して欧米人は最後のひとりになる覚悟をし、
日本人は集団で守りに入る。
しかし今や日本人も欧米人と同じ生き方を探り始めた。
もはや集団で生きるのは難しいのだ。
という話。(写真:フォトAC)
【ホラー映画で、なぜ主人公たちはバラバラになるのか】
先週の土曜日、民放テレビで「ミステリーという勿れ(劇場版)」というドラマをやっていました。地上波初放送だそうで、テレビドラマの時は欠かさず見ていたので、さっそくかぶりつきました。
作品の感想などは別に書く機会もあるかもしれませんが、中にちょっと気になるセリフがあったのでメモしておきます。主人公の久能整(くのう・ととのう)が登場人物たちを一か所に集めようとして、その意図を問われる場面でのことです。
「みなさん、ホラー映画とか見ます? 殺人鬼物とか。あれで問題なのって、みんながバラバラになることなんです。全員一緒にいれば防げることもあるのに、なぜかバラバラになって一人ずつ殺されるんです。だからみんなで協力しませんかっていう話をしたかったんです」
そう言えば「エイリアン」も「バイオハザード」も「マトリックス」もほとんどが別行動で、綿密な作戦を練る場面というのがない。たまに二人以上で行動しても、途中でひとりが別方向を指さし、無言で「あっちを見てこい」みたいな合図を送ってバラバラになってしまう。そして一人ひとり殺されていきます。
“みんなが一か所に固まって動かなければ、話が進まないか一瞬で全滅して映画が終わってしまうじゃないか”
という大人の事情もあるかもしれませんが、洋画だと妙にそれが似合う。邦画だととりあえず集団で動こうとする。団子みたいに固まってそのまま移動しようとする。一人ひとり抜き取られるように殺されることはあっても、とりあえず集団でいた方が有利だという思い込みが、みんなにあるようなのです。
【ひとりでも生きていかなければならない世界、ひとりでは生きられない世界】
ヨーロッパの文化の基礎には、「確立された個が力を寄せ合って築く社会こそを“良き社会”」と考える傾向があります。元々が狩猟民族ですから協力をするにしても数名が限度、基本的には出し抜く抜く社会で、いざとなったら一人でも戦う、そうした気概がないと生きてはいけない世界なのです。
また、ヨーロッパで人間を押し潰す代表的な存在は自然災害ではなく、ヨーロッパライオンや狼といった野獣、もしくはフンだのゲルマンだのといった異民族でした。それは戦う相手であって最初からひれ伏す対象ではありません。戦いですから最後はひとり。「闘争か逃走か(fight or flight)」は最終的に自分ひとりが選ばなくてはならないのです。それができる個人が集まり、明確な意思をもって社会をつくる――それがヨーロッパの理想なのです。
ところが日本はまったく違っていました。
古代の日本人にとっての最大の脅威は自然災害と怨霊で、熊や日本狼などのわずかな例外を除けば獣も異民族も脅威とはなりません。その意味では昔イザヤ・ペンダサンという評論家が言ったように、人間と生き物の脅威から隔絶された平和な「別荘の民」だったのです。
もちろんそうした平和な状況下で、私たちの祖先はノホホンと暮らしていたわけではありません。この国の民が曝される自然災害は苛烈です。地震、落雷、竜巻、台風、洪水、火山爆発、山崩れ、津波――。
稲という水辺でしか栽培できない作物を主食としたばかりに安全な丘から川辺に下りざるを得ず、水産資源に恵まれていたばかりに危険な海辺からも遠ざかることができません。最初から自らの身を危険に曝すような生活をしていますから、自然災害にあってできることはひとつ、身をかがめて小さくなって、災厄が行き過ぎるのを待つだけです。闘争(fight)もなければ逃走(flight)もありません。
そして災害が行き去ったら、日本人は再び前を向いて歩き出すのです。「しょうがない」という言葉の中にある奇妙な落ち着き、絶望感のなさは、まさにそれが日本人だからです。いつものようにやりなおすだけです。
田畑の復興には大規模な工事が必要になりますから必然的にかかわる集団も大きくなります。組織が大きくなって統率が難しくなれば、出る杭を打ち、同質性を高めようとせざるを得なくなります。無言のうちにも相手を規制し合い、個人よりも圧倒的に集団を大切にする――そうやって日本人はつくられてきたのです。
【日本人には欧米人のような生き方ができるだろうか】
同じ人間と言っても、人生の処し方、人間関係の結び方、あるいはものごとの感じ方にはおのずと民族性が出ます。日本人にはどんなに努力してもヨーロッパ人になり切れない部分が残り、ヨーロッパ人も日本人になり切るのが難しい、そういった差異が厳然とあると私は思っています。もちろん若干の例外はあるにしても、日本人の両親から生まれ日本人の家族の中で育ち、日本人としての教育を日本人の子どもと一緒に受けて来た人間は、ヨーロッパ人のように生きることはできない、特に危機に際して、最後のひとりになっても戦うような胆力が、私たちの中にあるかどうかはとても疑わしい。ホラー映画で言えばその場に残って皆と一緒に危機の去るのを待つのではなく、たったひとりでも活路を見出そうと歩き始めることができるのか、ということです。
【しかしもはや集団では生きられない】
この正月、子や孫が帰省しないので持て余し気味の時間をボーっと過ごしながら、考えたのはそういうことです。娘や息子が孫たちと一緒にそれぞれの配偶者の実家で正月を過ごすことは、寂しい反面、喜ばしいことでもあります。なぜならそんな形で家族の親交を深めることが、結局は親族・姻族の絆を深め、互いの安全を保障するからです。
今はなくなってしまいましたが、かつて元旦に行っていた隣組の新年会も悪いものではありませんでした。屋外にテーブルを持ち出し、ほんの20分~30分、酒を酌み交わしツマミを手にするだけのものでしたが、ほんとうに1年に一遍しか会わない人もいて、互いを確認するに都合のいい会でした。いざという時はどの家とどの家に駆けつけて、お年寄りや子どもたちを助ければいいのかおおよその目安がつけられたからです。
かつてはその会の終わったころに年賀状が届き、1枚1枚、自分の持っている人的資産を確認し、満足する、それが私の正月でした。
おそらくそこにはコロナ禍の影響もあるのでしょう。ここ数年の間に、私たちは人間と触れ合わなくても生きていける経験を積んだように錯覚し始めています。
煩わしい人間関係などなくても私たちは生きていける。婚家も煩わしければ実家も煩わしい。PTAも労組も隣組も煩わしい。昔は顔を合わせてやるのが当たり前だった“仕事”も、リモートワークでオン・オフを切り替えられるようになった。
ウーバー・イーツが流行るのも、食べに行くのが面倒だからでなく、店員と顔を合わせて注文をしたり会計したりするのが煩わしいからです。この私ですら、Amazonでの買い物を好むのは、家電店の店員と言葉のやり取りが面倒だからです。
(この稿、続く)