カイト・カフェ

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「道徳教育のかたち」~偉人を学ぶ授業じゃない

 日曜日の朝は「サンデー・モーニング」を見るのを常にしていたのですが、最近コメンテーターの言うことが同じ方向に揃ってしまい、すっかりつまらなくなってしまいました。江川紹子張本勲を批判してクビになったあたりから変なのかもしれません。もうそろそろやめて、「たかじんのそこまで言って委員会」に鞍替えしようかと思い始めました。
 同じ日曜日の午後にやっている「たかじんの〜」は出演者の意見対立がそのまま放送されるので面白いのです。

 ところがあいにく昨日の「たかじん〜」は教育ネタで、意見にばらつきはあっても、結局根は同じかとガッカリさせられました。
 その一つは「日本の教育は日教組に支配されている」「日教組が日本の教育を悪くした」です。この点に反論する人がいないのです。

 かつての日教組がどうであったかは別にしても、今の日教組など組織率わずか26・2%。新規採用者の加入率も前年比2・4ポイント減の17・7%(過去最低)しかありません。もちろんその26・2%が全員、反日反戦・反政府の社会主義戦士なら迫力もありますが、そうでないことはみなさんご存知の通りです。県外の2〜3の都道府県教組については私でも首を傾げる活動があったりしますが、たいていは「日本の教育を支配する」ほどの力はないはずです。

 いつまでも「日教組が〜」では議論が始まりません。

 もうひとつ、昨日の「たかじん〜」で首を傾げたのは、「道徳の教科書に載せたい人物は」というテーマが語られたときです。

 そのテーマにたどりつくまでに“子どもは勉強も大事だが道徳の授業ももっとやってほしいと願っており”(ホントかな)それにもかかわらず“教師は道徳をサボっている”という話があっての後の「道徳の教科書に載せたい人物」です。

 名前を挙げられた偉人たちには文句ないのですが、道徳教育を行うことと道徳の教科書で偉人の業績学ぶことが同じように語られ、しかもそのことに一人も疑問を持たないことがいたって不思議でした。これほどの知識人でも、偉大な人物の業績を知れば子どもたちはそのようになりたがると、本気で信じてしまうのでしょうか。

 私は道徳教育と「道徳の授業」との関係を、自動車の免許講習全体と「学科講習」に重ね合わせて説明するようにしています。

 自動車の運転を学ぶのに「学科講習」は絶対に必要です。交通法規や自動車の構造、一般の運転技術やマナーを学ぶことはおろそかにできません。しかしそれだけで公道に車を持ち出されてはかないません。学科をはるかに上回る実技講習をしてからでないと困るのです。

 道徳教育も、基礎・基本・ものの見方考え方を学ぶ「道徳の時間」は必要ですが、それで道徳性が高まるほど子どもも人間も単純ではないのです。「道徳の時間」年間35時間をはるかに上回る実技講習が必要なわけで、それが特別活動を初めとする“学校の全教育活動”なのだと、そんなふうに考えないと「道徳」は完結しません。

 道徳教育は「道徳の時間」に教科書を使って学ぶものという考え方を土台にしている限り、すべての議論は無意味です。世の中の教育談義というのはその程度のものかもしれません。