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「宮城栗原で起きた不幸なボタンの掛け違い事件について」~真の保身者は、他人に迷惑をかけても物事を公にする

 宮城県栗原市の小学校で、軽トラックで子どもをはねたうえ、
 犯人が校舎へ侵入を試みるという事件があった。
 学校は暴漢の敷地内侵入を防げなかった。
 しかしそれ以上に問題だったのは、事後の対応だ。
という話。(写真:フォトAC)

【宮城栗原で何があったのか】

 今月6日午後3時ごろ、宮城県栗原市の小学校敷地内で児童4人が軽トラックにはねられ、車から降りた容疑者がそのまま校舎内に侵入しようとするという事件がありました。現場に駆けつけた教頭が容疑者に気づいて直前に確保、窓のない放送室に閉じ込めたあとで警察などに通報したため、消防への救急要請は午後3時25分、保護者への連絡はさらに遅れて午後7時と、とんでもない時間になったためずいぶんと非難されているようです。
 被害者のうちの一人は既に帰宅していて、一斉メールで事情を知った保護者に訊かれて「実は私もはねられた」と報告して親を慌てさせたといいますから呆れたものです。

 ただし同情的に考えれば、事件が起こった瞬間に現場にいた教師が2人、そこに教頭と養護教諭が駆けつけて最低4人もの大人がいたのに、誰もその場で119番あるいは110番通報しなかったのはよほど子どもたちのケガが軽く、事件や事故という認識が持ちにくかったからに違いありません。
 現場にいた教諭の証言によれば「音が聞こえないくらいのスピード」でやってきたようですし、読売新聞ONLINEによると
 はねられた小学4年の男児(10)は突然、背後から強い衝撃を感じた。車とぶつかったはずみで肘や膝をアスファルトに打ちつけ、「びっくりしたし、怖かった」。
という程度ですから、大急ぎで各所に連絡、という気持ちにはならなかったのでしょう。なんか変だなあ、という感じのままずるずると引っ張られたに違いありません。

 容疑者は前日から警察に「自分の様子がおかしい」と再三相談しているくらいですからやはり様子がおかしく、教頭は放送室に閉じ込めたあとで「さあどうしよう」と考え、逮捕事案というよりは保護事案ということでここは警察に任せるしかないと思い当たって電話したのです、たぶん。
 ただ、そのあたりから徐々に事態の解釈が進んで、
「誰もケガらしいケガをしている様子はないが、それでも救急車に来てもらって病院に行った方がいいかな?」
と考える(切迫感がないので、その間に被害児童のひとりは帰宅してしまう)。
 救急車が来て3人を病院に搬送し(いくら何でもこの時点で3人の保護者には連絡しているでしょうが)、
 警察官が来たので容疑者を引き渡す。警察からかなり細かなことも訊かれ「あれ? これって逮捕事案か?」と思い始める。
 やがてそれも終わって一区切りついて、午後7時近くになって急に不安になり、保護者宛メールの草案をつくり始める。
「そうだよな、やっぱ、保護者に連絡しておいた方がいいよな」
――何か、そんなことがあったような気がするのです。

【裏で起こったこと、起こらなかったこと】

 保護者に一斉メールを出すまでに校長や教育委員会がどうかかわったのか、私はその点に興味があります。何かあったときに教頭がまず考えなくてはならないのが校長への報告だからです。何より先に校長に報告して指示を仰ぐ――。
 もちろん軽トラックにはねられた子どもが血を流し、泣き叫び、あるいは意識のない状態で最初に電話をする相手が校長ということはありませんが(それをやってメチャクチャ非難された教頭というのもいましたが)、救急車の要請や警察への通報は基本的に校長の権限なのです。校長が判断し、判断した以上は校長が責任を取ってくれます。大したこともないのに救急車や警察を呼んでしまい「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げるのも校長なら、必要なのに警察や消防への通報を躊躇って大事になった場合に詰め腹を切るのも校長です。
 ですからこの事件でも教頭がどの時点で校長に連絡をしたのか、実際に連絡が取れたのはいつだったのか、取れた時点で校長はどんな指示をだしたのかなどは、とても重要な問題なのです。
 
 宮城県栗原市の事件では、何らかの事情によって校長あるいは教育委員会と連絡が取れたのは午後6時過ぎ、一斉メールの直前だったのではないかと私は想像しています。その段階になって初めて校長もしくは教育委員会に報告し、そこから指導・指示があって一斉メールを出したのではないかと思うのです。そうでなければ、教頭がこれほど矢面に立たされることはないからです。
 結果的に、この学校の危機管理には非常に甘いところがありました。

【失敗した二つの危機管理】

 ここで言う場合の“危機管理”には二つの意味があります。ひとつは「確信的に学校に侵入して害悪をなそうとする人間をどう阻止するか」という危機管理で、もうひとつは事後の問題、「事件・事故が防げなかったとして、そのあとマスコミ・保護者・その他関係者・社会一般から非難され吊るし上げられないためにどうしたらよいのか」という意味での危機管理です。宮城県の学校は二重の意味で危機管理に失敗したのです。
 
 ですから今後の対応について二重の修復がされなくてはならないのですが、報道によれば、前者の危機管理については校長が、
「別の教員が任務をしっかりカバーし合える態勢を整える必要がある」などとし、マニュアルの見直しや警備の強化を進める考えを示した。
と言いますし、市教委も、
 市内の小中学校に対し、こうした事態に備えて教員の役割や動きを検証する模擬訓練を行うよう指示した。また、教育施設の出入り口の状況を緊急調査し、バリケードを設置するなどの不審者対策も行う方針
だそうです。
 しかし後者については、
スクールカウンセラーが児童や教員の心のケアを行う
程度のことしか言っていません。言ってないだけで、校長・教頭・職員にはたくさんの指示・指導が入ったはずです。

【真の保身者は、他人に迷惑をかけても物事を公にする】

 私は気の小さな管理職というのがけっこう役に立つことを知っています。
 かつて私の勤めていた学校の、二階のベランダの柵が多少ガタついていて心配なことがありました。気づいたのは校長で、校長はしつこく教頭に指示して教育委員会に改善要請をさせます。さすがに同じことを何回も繰り返すとうんざりしてきたらしく、教頭も校長にこう言います。
「先生、何度言っても動いてくれないのは市教委に予算がないからですよ。あまり無理を言っても気の毒ですよ」
 すると校長は、
「できないことは分かっているんだよ。しかし万が一にも事故が起こった時、これだけ何べんも訴えておけば責任を問われることは絶対にない。責任は教育委員会が取ってくれるんだ!」
 私は恐ろしい校長だと思いましたが、何年かのちに別の学校で、新築校舎のシックハウス問題が発生したとき、校長ではなく市の教育長が深々と頭を下げるの見てまったくその通りだったと感心しました。先の校長とは別の人ですが、何度も訴えていたおかげで事件が発覚したときには被害者の一人であり、ひとことも謝ることがなかったからです。

 学校の保身というと人々はすぐに「事実隠し」のことを考えます。しかしほんとうに優秀な管理職は、公表する必要もない段階からバンバン公表することによってわが身の安泰を図っているのです。きちんとやっている、一生懸命やっていると、目に見えることが大事なのです。

 ところで、目に見える対策とは言え、
バリケードを設置するなどの不審者対策も行う方針
とは大げさな、と1960年代の学生運動を知る私などは思うのですが、調べてみたらずっと簡単なバリケードもあって(右の写真)、それはそれで問題だと思ったりもしました。