「昭和の風景」⑥

 私はもちろん戦前の生活は知りませんが、“第二次世界大戦が終わって生活は一変した”というのは政治や社会制度の変化であって国民の意識自体はそう変わってはいなかったのではないかと思っています。

 確かに軍国主義国家主義は瞬く間に霧消しましたが、そんなものは一時の悪夢であって本質的な問題ではありません。15年戦争と呼ばれる長期消耗戦は1931年の満州事変に始まりますが、そのわずか5年前までは大正時代だったのです。大正ロマンの時代です。
 大正デモクラシーが先端の政治思想であり、白樺派が文学界を闊歩し竹久夢二や野口雨情が歌を書いた時代です。銀座をモボやモガ(モダンボーイ・モダンガール)が自由に歩き回り、銀座でブラジルコーヒーを飲む「銀ブラ」が流行語となった、それが20年の空白期(昭和元年〜昭和20年)を経て元に戻っただけです。

 ほんとうの生活の変化、日本人の変化はむしろ高度経済成長によってもたらされたと考える方が自然です。
 例えば、私が3歳の時に我が家いなくて、15年後の高校卒業の時にあったもの、思いつくまま間に書くと次のようになります。
 洗濯器、冷蔵庫、電気炊飯器、電気ジャー(ご飯の保温専用機)、ガスレンジ、電気掃除機、丸い形の蛍光灯(サークライン)、テレビ、トランジスタラジオ、ステレオセット、自家用車、バイク・・・私のところではついに家まで買ってしまいます。

 簡単に言ってしまうと、3歳の時には戦前と同じ生活だったのに、18歳の時は今とほとんど変わりない生活を送っていたのです。

*注
 現在あって18歳の時になかったものはコンピュータくらいしか思いつきません。もちろん温水機能付き便座やIHなどありませんでしたがコンピュータを除けば、それは生活に画期的な変化をもたらすほどのものではなかったのです。


 生活の変化は当然、心の変化ももたらします。
 昨日は、テレビの出現によって家族関係が変わったというお話をしましたが、自家用車の普及は親の人間関係を変化させるとともに子どもの人間関係も変えてしまいました。
 日本人は、自分の好きな人とだけでつき合っていればよくなったのです。

 私の子どものころ、人々の生活範囲はせいぜいが半径50m以内で納まりました。広く見積もっても半径100m以内、映画「ALWAYS三丁目の夕日」で言えば、まさにその三丁目の内部です。
 人は好きも嫌いもなく、その中で生活するしかありませんでした。その中に嫌な奴がいても、何とか折り合っていくしかなかったのです。
 ところが現代、私たちは歩いて数十分の距離を自家用車でいとも簡単に移動して好きな人とだけつき合うことができます。子どもも当然一緒について行きます。
 少し大きくなると、今度は子ども自身が親の送り迎えで“好きな人”とだけで交際しはじめ、さらに進むと親に頼らず自転車で気の合う仲間のところに入り浸ってしまうのです。
 嫌な奴と我慢しているのは学校の中だけで十分! と子どもたちは思っています。私がケンちゃんとのやり取りで苦労させられたようなことはまったくしなくて済むのです。

(この稿、続く)