カイト・カフェ

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「家族の一言ひとことはとんでもなく重くなった。こころして語れ」~NHKドラマ「こもりびと」を観て⑤

 昔の親は偉かったとか、きちん子育てをしていたとかいった話が出てきたら、
 蹴飛ばしていい。
 昔の親はほとんど何もしなかったからうまくいったのだ。他の人がやった。
 現代の親は子どもの人生にとってとんでもなく重要な存在になってしまった。
 だから、言葉には、慎重になれ、その重さにこころせよ、

という話。

f:id:kite-cafe:20201204072427j:plain(写真:フォトAC)

【昔の親は子育て上手だったか】

 昔の親は今よりもずっと子育てがうまかったとか立派だとか、あるいは子どもの指導に優れていたといった話があったらそれはすべて間違っています。

 「昔の親」がいつの頃の話かにもよりますが、少なくとも大正末期・昭和初期に生まれた私の両親世代は違います。彼らは終戦によって大きな価値転換を経た人たちで親としても自信のない世代でした。自分の受けてきた教育は全否定されているのに、新しい民主主義下の親の在り方など、誰も分かっていなかったからです。

 それに私たちが思春期となった時期は高度成長期と一緒でしたから、とにかく親は家にいる暇がなかった。モーレツに働きモーレツに稼いで家庭に生活革命を起こす時代、たいていの親たち、特に父親たちは子どもなんか見ていませんでした。私自身も父親が子ども好きだったなんて大人になって初めて知ったことでした。
(「お父さんもお前たちが小さなころはずいぶんと可愛がったものよ」と母親)


【大昔の親は子育てなんかしていなかった】

 しかしそれでも母親が面倒を見てくれただけでもマシで、さらに上の世代、国民の大部分が第一次産業に従事していた明治・大正・昭和初期の母親なんて、「嫁」という名で雇われた体の良い無賃金労働者で、夜が明けると赤ん坊を姑に預け、日が暮れるまで田畑で働いて帰ってくると夕飯を食べて寝るだけの生活をしていたのです。

 自分の子どもと触れ合えるわずかな時間は「可愛い」「可愛い」と甘やかしていればいいのですから、子育てという点に限れば楽なものです。当時を題材にした映画を観るとやたらと母親が偶像化されていますが、いやな躾や指導は姑・小姑に任せ、子育てのいいとこ取りをして可愛がっているのですから無理もありません。もちろん家庭内労働者としては、今よりもはるかに過酷でしたが――。

 子育てが両親だけの責任で行われるようになったのは、核家族が標準になったここ40~50年のことです。
 それまでは、私が子どもであったころですら、近所の口やかましい小母さんやバッちゃんがあれこれ口出しする共同保育でしたし、何より近くにたくさんの子どもがいて、自転車もなければ自家用車もない時代ですので遠くに出かけることもなく、好き嫌いも言えず、選り好みもできず、毎日たむろして遊んでいたのです。
 子どもたちは大人に育てられるよりも、子ども同士で「とも育ち」していた面が強いのです。


【子どもたちのとも育ち】

 今はいじめ問題がうるさいですから(うるさいなんて言ってはいけないかな?)子ども同士のトラブルが放置されることはありませんが、昔の子ども社会はかなりしんどい面がありました。

 「ドラえもん」の描く世界はかなりそれに近いものですが、狭い地域にジャイアンがいてスネ夫がいてしずかちゃんや出木杉君がいます。アニメでは必ずしもそうなっていませんが、ジャイアンのうしろにはジャイ子が、ドラえもんのあとからはドラミちゃんがついてきて、年齢を越えて一緒に遊んでいました。ほかに行くところがなく部屋にテレビも本もありませんから、そうせざるを得なかったのです。
 ただしそこには必然的に階級差が生れ、昔のリアル・ジャイアンはアニメの主人公ほど甘くはありませんでしたから相当ワガママにふるまっていました。理不尽は日常茶飯事です。
 子どもですから、
「結婚はできないわ、仕事は続かないわ、恥ずかしくないか。少しは俺の立場も考えろ。このままだとお前、家族の恥さらしだぞ」
とは言いませんが、もっと子どもらしい、もっと無垢なやり方で、仲間のこころをズタズタに切り裂くなど平気でした。


【家族の一言ひとことはとんでもなく重くなった。こころして語れ】

 ここで“昔の子どもはこうやって鍛えられた”という話をしてもいいのですが、今は違う方向に進みたいと思います。言いたいのは、
「昔の子どもは、大人になるまでの間にとんでもなくたくさんの人々の言葉の中で育ってきた」ということです。
 その「たくさんの人の言葉」の海では、普段は会うことも少なく話すこともなかった父親の言葉などすぐにかき消されてしまう、大した意味を持たない、非常に軽かったわけです。どんな無神経なことを言われても大量の雑音の中で消えてしまっていました。
 実際、私自身も子どもの頃に父親からかけられた言葉は、ほとんど覚えていません。思い出すのはつまらないことばかりです。

 NHKドラマ「こもりびと」の中で、最後まで出てこなかったのは主人公の「友だち」です。職場の同僚というのも絡んできません。そういう育ち方をしてきたという設定なのでしょうが、これでは父親の無神経な言葉がいちいちこころをえぐるわけです。
 私たちがこのドラマから学ぶべき最大の教訓はこの点です。
 もはや子どもが自然に存在する人間環境の中で育てられる時代は終わっている。この時代にあって親兄弟の一言ひとことはとんでもなく重い。こころして語れ。
 そういうことです。

 さて、週をまたいで話題を繋げるのが嫌なので今日中にまとめたかったのですが、話がずいぶん長くなってしまいました。しかしもう一つ扱っておくべきことがあります。
 それはドラマ「こもりびと」の中にも出てきた、回復と生き直しの物語です。

(この稿、続く)