カイト・カフェ

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「惣領の甚六、次男坊には鬼が出る」~困った子、困っている子の話①

 娘が二人の子を連れて五日余りの里帰り。
 しかし次男坊が驚くほど難しくなっていた。
 怒る・泣く・喚く・意地悪をする――、
 そして私は、あることを思い出したのだ。
という話。(写真:フォトAC)

【シーナ、里帰りする】

 先週の月曜日(1日)から金曜日(5日)まで、長女のシーナが二人の息子を連れて里帰りしてきました。上のハーヴは8歳で小学校の3年生になったばかり、下のイーツが4歳で今年保育園の年中組になりました(もちろん3人とも仮名、日本人です)。
 なぜ土日をはずして月~金という週日にやって来たのかというと、シーナは現在、在宅で仕事をしており、ハーヴの学校が始まるまでの一週間、親に子守をさせて自分は働こうと考えたからのようです。
 親(私)に東京まで来てもらうという選択肢もなかったわけではありませんし、そもそもハーヴは学童保育、イーツは保育園と、預かってもらう道もあったのですが、三人で里帰りしてしまえば“一切食事を食つくらなくてもいい(夫は自分で何とかできる)”という大きなメリットがあります。またそうした下心は抜きにしても、子どもたちを連れて行けば私たちが喜びますから、ちょっとした親孝行にもなるはずです。
 最近シーナの義理の妹の配偶者が、母親を亡くすというできごとがあって、自分の親とほぼ同年代の人の死に、慌てて少し、小まめに親孝行しておこうという気になったのかもしれません。

【イーツ、絶賛反抗期】

 正月に会ったばかりでさほど時間は経っていないのに、しかし今回は今までにないことがありました。次男のイーツが「お母さんのひっつき虫」になっていて、何かにつけて「お母さん」でなくてはいけなくなっていたのです。そのくせしょっちゅう癇癪を起して、泣いたりわめいたり、毒づいていたりします。
 基本的には兄のハーヴと仲がいいのに、ハーヴが手にしているものを何も言わずに奪っていって怒らせたり、逆に弟のイーツが遊んでいるものをハーヴが貸してほしいと頼んでもなかなか譲ってくれなかったり、何かと諍いのタネを振りまいてやみません。興が乗るととんでもないおしゃべりになり、けれど全部をきちんと聞いて反応しないと泣いて怒ります。

 ぬいぐるみにこだわりがあって、あれもこれも持って行きたいというのをシーナが説得してそこそこ大きなパンダ一匹にして持って来たのですが、そのパンダが部屋の真ん中であおむけになっていたので隅に片付けると、「ボクのパンダなんだからそんなところに置かないで」と奪っていき、しかもものの1分もしないうちに別の部屋で放置されている。
 次々と遊びを変えて、遊んだ端から道具やらオモチャやらを床やテーブルに放置する。叱ると「だってハーちゃんが・・・」と関係のない兄を巻き込んで言い訳をし、なぜか逆切れして不機嫌になる。
 外食に出た自家用車の後部座席では、真ん中の席に行きたかったのにお母さんが先に座ってしまったと泣いて怒り、母親が場所を代わっても「そんなの嫌だ!」「そんなの嫌だ!」といって泣き続ける。もはや「そんなの」が何なのか、誰にも分らない――。

 私はシーナやその弟が子どもだったころは、十分に時間を使って子育てをし、十二分に楽しんで何の悔いもないつもりでいました。しかしそれでもシーナのところに二人の子どもが生まれ、若い夫婦が育てていく姿を見ると羨ましくてしかたがない気持ちでいっぱいになったものです。ただし今度ばかりは少し違いました。単純に羨ましいなどとは言っていられません。
「こりゃ、なかなか大変だワ」

【惣領の甚六、次男坊には鬼が出る】

 あるいは、私が単純に娘夫婦を羨ましがったり、ふたりの子育てに感心できたのは、たぶんに長男のハーヴの資質によるものだったのかもしれません。のちのちそれが問題の予兆であったと分かるのですが、とにかくハーヴは育てやすかった。新生児仮死で生まれ、寝返りやハイハイはとても遅く、発達検査ではしばしば引っかかって不安や心配は山ほどでしたが、育てずらいということはまったくなかったのです。
 寝つきはよく、夜泣きもほとんどせず、よくミルクを飲んでむずかることもない。すでに生後2~3か月のころ、子育て初心者のシーナが夫に「こんなことありえない、この子は特別。育てやすい。だから2番目も3番目もこうだと思ったら間違いよ、きっと」と言っていたほどでした。

 その予言は的中して二番子のイーツはこの始末。ことわざにも「惣領の甚六(*1)、次男坊には鬼が出る」と言いますが、次子は長子ほどおっとりと育ってはくれないようです。
――と、そうこうしているうちに、私は二つのことを同時に思い出します。
*1「そうりょうのじんろく」・・・長男や長女は、大事に育てられるので、弟や妹に比べると、おっとりしていてお人好しである。

【思い出した二つのこと】

 ひとつは単純な連想で、
「そう言えば私の二人の子、シーナとアキュラも同じだったな」
という話です。
 私は当時としては遅い35歳の結婚で、36歳でシーナの父に、40歳でアキュラの父親になりましたが、もともと子ども好きだったので二人が生れると嬉しくて、最初からずいぶんと可愛がって大切に育てました。特にシーナはこれといった病気もせず、健康に育てることができたので、”やはり齢を取ってからの子育てはそれなりの経験も経て、自信をもって向かえるからいいものだな”と、密かに自賛していたのです。ところがその自信はアキュラの誕生とともに崩れ落ちます。

 まず、生後一カ月足らずのころ、入浴中に湯の中で取り落として水中に沈めるというできごとがありました。気持ちよさそうに浮かんでいたのでこちらもゆったりとしていたら、いきなり暴れて私の腕の中からすっぽり滑り落ちたのです。もちろん拾い上げました。
 生後8か月で歩行器に乗ったまま廊下を猛ダッシュ――そのまま玄関の三和土に落ちて額を5針縫う大けが。11カ月のつかまり立ちのころには、親の目が離れたすきに、できもしない「テーブルクロス引き」をやり、上に乗っていた淹れたてのコーヒーを肩からかぶって大やけど。2歳で押入れの上の段から飛び降りて足を骨折。
 姉は靴下が嫌いで、保育園の未満児クラスに入れたら真冬でも脱いでしまい、一年じゅう靴下なし。それで健康に暮らしたので同じことをしたら、弟の方はアッという間に風邪を引いて入院です。
 要するに上の子のシーナは、親である私たちが年かさで、優秀だったからうまく育てられたのではなく、単に”生まれながら強く賢い子だったからそうなった”というだけのことだったようなのです。
 考えてみれば私と弟の数十年前の姿も、よく似た感じだったと思います。
 
 思い出した2番目は、それよりもずっと深刻な話です。かつて私の勤めていた小学校の6年生にとても難しい困った女の子がいたのですが、それが今のイーツにそっくりだと、とつぜん気づいたのです。
(この稿、続く)