「出しゃばりお米(よね)」
昭和の初期まで日本にいた、お節介なおば様たちの総称だ。
そのお米たちがいなくなって、
はて? 現代の若者たちは幸せなのだろうか
という話。(写真:フォトAC)
【出しゃばりお米(よね)を知っていますか?】
出しゃばりお米という人物に心当たりはありますか?
おそらく80歳以上だと即答できる人は多いと思いますが、それ以下だと怪しくなります。実在の人物ではありません。1956(昭和31)年にテイチク・レコードから発売された「愛ちゃんはお嫁に」*1という曲に出くる人ですので、私でさえ「懐メロ」で覚えました。
*1:「愛ちゃんなお嫁に 鈴木三重子 1972「なつかしの歌声より」
歌詞を見ると愛ちゃんは村のアイドル的存在のようで、恋焦がれる「俺ら(オレたち)のこころを知りながら」「出しゃばりお米に手を引かれ」「太郎の嫁になる」らしいのです。そこまでが1番の歌詞です。
2番の歌詞には「愛ちゃんは俺らに嘘ついた」「嘘とは知らずに真に受けて」とありますから「私は皆のものよ。誰のものにもならないわ」みたいなことを言ったのかもしれません。3番で「愛ちゃんは太郎と幸せに」となりますから、全体は「俺ら」の横恋慕。愛ちゃんは納得して太郎のところに行くのでしょう。
さて、問題の「出しゃばりお米」ですが、これはおそらく頼まれもしないのにあちこちに縁談を持ち込んではまとめる、昔のボランティア仲人みたいなものだと思われます。親や本人から頼まれて相手を探すこともあれば、結果的に報酬をもらうこともあったようですが、基本的には無報酬で勝手に動き回る。だから「出しゃばりお米」なのです。昔はこんな人が村に何人もいました。
――と、そんな話をすると、封建時代の何の自由もない結婚のように思われるかもしれませんが、愛ちゃんが不本意な結婚を強いられているわけではありません。嫌なら断ればいいのです。見合い写真を見た段階で嫌だと言ってもいいですし、会った後で「やっぱりだめだ」となる場合もあります。恋愛と違うのは面倒くさ破談のやり取りを、「出しゃばりお米」がうまいこと代行してくれる点です。いまの退職代行みたいなもので、楽でいいですね。
歌詞の中では「俺ら」が憧れの愛ちゃんの幸せを願っていますから、太郎もそれなりの人物なのでしょう。皆が納得の結婚のようです。メデタシ、メデタシ――。
しかし勘違いしてはいけません。こうした結婚は、都会では太平洋戦争前に、田舎でも昭和20年代か遅くとも30年代半ばにはなくなっていたのです。結婚相談所を開設するプロの仲人もいたし、保険の外交員が顔の広いところを買われて仲人まがいの仕事をすることもありましたが、「出しゃばりお米」自体はとうにほろんだ文化です。昭和31年に「愛ちゃんはお嫁に」がヒットしたのも、そこに懐古趣味(ノスタルジー)があったからなのかもしれません。
【昭和を一括りで見てはいけない】
最近何かと「昭和」が再評価されたり再批判されたりします。昨日も集英社オンラインの記事の中に厳しい意見があって、
昭和的な価値観の中では、家父長的な考えのもと、父親が絶対的な権力・地位を持っていました。父親の言動がいくら理不尽であっても妻や子供は黙って従うしかなかったのです。
また、学校や会社でも、先生や上司から理不尽なことで怒鳴られても黙って耐えて従うのが当然でした。こうした価値観がどの世代でも共有されていたため、多くの人が疑問を抱くこともなく、年長優位や男性優位を当たり前のものとして生活することができていました。*2
などと言っていますが、冗談ではありません。一口に昭和といっても64年間もあるのです(正確に言えば62年と2週間。昭和元年と昭和64年はともに一週間しかありませんでした)。しかも前三分の一のところで敗戦という価値の大転換がありましたから、昭和20年以前と以後とでは全く世界が異なります。さらに後ろ三分の二も、敗戦から立ち上がった20年余りと、高度経済成長を果たして昭和元禄と言われた昭和40年代からバブル経済までの繚乱期は、また違うのです。
昭和が家父長的な価値観の下で、
「父親の言動がいくら理不尽であっても妻や子供は黙って従うしかなかった」
「学校や会社でも、先生や上司から理不尽なことで怒鳴られても黙って耐えて従うのが当然」
だったとしたら、1968(昭和43)年から1969(昭和44)年にかけての新宿騒乱や東大闘争は何だったのでしょう。1970年代後半から80年代前半にかけて、つまり昭和50年代に全国の中学校・高校で吹き荒れた校内暴力の荒らしは、夢・幻だったのでしょうか?
そんなことはありません。現在60歳代から70歳代までの人たちは、もっとも先鋭に古い価値観と戦った人たちです。その先鞭をつけた団塊の世代(現在75歳から77歳くらいに人たち)などは、中国の文化大革命の影響も受けて「造反有理(反抗はそれ自体に道理がある)」などと叫んで実に破壊的でしたから、家父長的な考え方などは最初に打破すべき攻撃目標だったのです。彼らは、少なくとも表向きは家父長絶対主義者ではありませんでした。
*2:2024.10.09「多様性社会が生きづらい…」「今の時代、何が許されないか分からない」“老害”になりたくなくて発言することをやめた中年男性の悲哀。専門家からのアドバイスは…
【誰も結婚を強要されない自由な時代】
話を卑近な「出しゃばりお米」の段階まで戻すと、昭和の最終盤をとてつもないエネルギーでけん引した団塊の世代は恋愛に関しても進取的で、「同棲時代」という文化を創り上げたのも彼ら、極端な恋愛至上主義者で見合い結婚を嫌悪し、「出しゃばりお米」の首を最終的に締めて殺したのも彼らです。その団塊の世代が40歳代になり、結婚した者もしなかった者もともに「結婚」について考えなくなったころに平成不況が始まり、就職超氷河期と言われる時代が来ます。ちょうど私の中学校での教え子たちが就職し始めたころです。
彼らは望んだ職に就けず、低賃金のために多くは結婚できないまま、今、40歳代の半ばを過ぎようとしています。昭和も20年代くらいまでは貧しくても結婚できたのです、「お米」がいましたから。「出しゃばり」ですから頼まなくてもふさわしい相手を見つけて来てくれました。あるいはせめて昭和の内だったら、職業的仲人制度も残っていましたから何とかしようと思えばできないことはありませんでした。しかし平成はムリです。
あのエネルギッシュな恋愛至上主義者たちが制度を破壊し、結婚相手は自分で探すしかない時代をつくってしまったからです。金がなくてもプロポーズできる荒くれだけが結婚できる時代、そうした無鉄砲だけが繰り返し結婚する時代が30年も続いて、結婚することが当たり前ではない時代が来ました。
男性の5人にひとり、女性の6人にひとりが生涯を独身で過ごす時代。結婚することを強いられない時代。「出しゃばりお米」どころか、職場の上司・先輩、親兄弟・友人たちまでもがセクハラを怖れて結婚のお膳立てをしてくれない時代。
結婚の制約から自由な、まったく自由なそういう時代が到来して、問題なのは次の一点だけです。
それで現代の若者は幸せになったのかい?