三つの話が頭に浮かんでくる。
「沈黙交易」の話、吉田兼好の「ものくるる人」、
オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」、
ものを送ることに関する三つの物語、
という話。(写真:フォトAC)
【沈黙交易の話】
古代において、ふたつの民族あるいは部族、あるいは村が、まったく言葉を交わすことのないまま物品を交換する、その方法を「沈黙交易」または「無言交易」といって世界中に例があるようです。
具体的には、
一方が、ある決められた場所に物品を置き、一定の合図(角笛や法螺といった楽器による音声など)を送ってから姿を隠すと、合図を受けたもう一方の集団はその場所へ行って置かれた物品を受け取り、等価と思われる質と量の物を置いて引き下がる。先ほどと同じような合図を送ると前者が再び現れ、満足すれば置かれた物品を持ち去り、気に入らなければそのままにして適当と思われる物品が追加されるのを待つ。それが何回か繰り返される内に「相場」が成り立って、いつか安定した交易がおこなわれるようになる、というやり方をします。
ブリタニカ国際大百科事典には、
「北アジア,ラップランド,西アフリカ,スマトラ,ニューギニア,南アメリカのアマゾンなどの社会に広くみられる」
とあるそうですが日本でも行われていて、最古の例は「日本書紀」にある阿倍比羅夫(あべのひらふ)が行ったものだという説があるようです。民俗学者の柳田邦夫は大菩薩峠(だいぼさつとうげ:山梨県甲州市塩山上萩原と北都留郡小菅村鞍部の境にある峠)や六十里越(ろくじゅうりごえ:新潟県魚沼市と福島県南会津郡只見町との間にある峠)で行われていたのもそれだと言っています。
必要な物品はぜひとも手に入れたいが、互いに相手が分からず恐ろしいため、顔を合わせない交易方法が編み出されたという例もあれば、互いに敬意を示すために贈り物をしあったということもあったようです。日本の場合は後者に重きが置かれていたようで、というのは五穀豊かなこの国ではどこにいても自給自足が可能で、無理に交易をする必要もなかったからです。*1
ずっと時代を下っての話ですが、江戸時代、「平家の落人部落」と言われるものが全国のあちこちで掘り出されるようになりますが、あれは典型的な税逃れの「隠田(おんでん)百姓村」で、飲み水さえ確保できればどんな山奥でも自給自足が可能で、税を払わない分、むしろ豊かに暮らせたのです。
縄文時代に遡れば、さらに交易の必要性などありません。それなのにものを交換した――そこに考えらえるのは相手に対する畏敬、ないしは畏怖です。贈り物をすることによって、「互いに引き合おう」「越境し合わないでおこう」と確認し合う、儀式のようなものではなかったのかと思うのです。
*1:例外的に道具の部品と装飾品は交易を通じて全国に広まりました。長野県和田峠の黒曜石や香川県白峰山のサヌカイト、新潟県のヒスイや八丈島近海のベンケイガイでつくられた貝輪などがその例です。
【ものくるる友】
吉田兼好の「徒然草」第百十七段には友とするにふさわしくない者として「身分の高い人」「若い人、病気をしたことがなく健康な人」など七つのタイプをあげ、そのあとで「よき友、三つあり」として「ものくるる友」「医者」「知恵のある友」があげられています。ダメな方が七つもあるのにいい方は半分以下の三つしかないというのもいかにも兼好らしいのですが、「医者」「知恵ある者」と同じ高みで「ものくるる友(ものをくれる友)」があげられているのは面白いことです。
たしかに贈り物をくれる人は、
- 私のことを忘れないでいてくれる人で、
- 私のために何をあげようかと思案してくれる人で、
- なおかつ、考えるための時間や心遣いや贈り物を買うための金を、私のために惜しまない人
ということになります。
そう考えると「医者」や「知恵ある者」と並べて「ものくるる友」が挙げられてくる理由も分かってきます。
【賢者の贈り物】
オー・ヘンリーの短編集の中に「賢者の贈り物」という有名な作品があります。「賢者」という表現からはイメージの浮かんで来ないほど若い夫婦の物語なのですが、あらすじはこんなふうになっています。
「貧しい夫婦、ジムとデラはお互いを深く愛しています。クリスマスが近づく中、デラはジムに素敵なプレゼントを贈りたいと思いますが、お金がありません。デラの唯一の財産は美しい長い髪です。彼女はその髪を売り、ジムの金の懐中時計にふさわしいプラチナの鎖を購入します。
一方、ジムもデラにプレゼントを贈りたいと考え、自分の宝物である金の懐中時計を売り、デラの美しい髪に似合う鼈甲の櫛を買います。
クリスマスの夜、二人はお互いにプレゼントを交換しますが、デラの髪は短くなり、ジムの懐中時計も手元にありません。しかし、二人はお互いのために大切なものを犠牲にしたその愛情に気づき、心から感謝し合います」(MicrosoftのCopilotによる要約)
Copilotは続けて、
「この物語は、真の贈り物とは物質的なものではなく、相手を思いやる心であることを教えてくれます」
と付け加えています。言わずもがなの話ですよね。
私は今、贈り物について考えたいと思い始めています。
(この稿、続く)