カイト・カフェ

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「私たちの子どもたちは、本格的な令和の米騒動を乗り切れるか」~もののやり取りについて考える③

 ものを贈ることで何かを得ることができる、
 それは野生として最弱の人類が、最初に手に入れた知恵だ。
 以来、高度化しきた贈答文化も、今や終焉の時を迎えようとしている。
 それでいいのか?
という話。(写真:フォトAC)
 

【何かを手に入れるためには、別の何かを渡さなくてはいけない】

 息子のアキュラがまだ1歳になる前の話です。
 当時は産育休が上限1年の時代でしたから、「切りの良いところで新学期から復帰」という調整が難しく、妻は5月まで育休を取っていいところを2カ月近く早く切り上げて、4月1日から復帰することにしました。ところが産後1年目の乳幼児というのはちょうど母親からもらった免疫が切れ、自分で獲得した免疫で生き始める時期、つまり極めて病気になりやすいのです。ハイハイで保育園に入ったアキュラも4月が終わらないうちにあっという間に肺炎になりかけ、大病院に緊急入院する羽目になりました。
 
 ついでに申し上げますが、両親とも教員という家の子は、親の多忙を知っていますから赤ん坊であっても週日に発熱することはありません。週末まで耐えて、金曜日の夜か土曜日の朝になって倒れます。アキュラも、姉のシーナもそうでした。
 
 ゴールデンウィークの半分以上を入院して、ようやく病室のベビーサークルの中を伝い歩きで動き回れるようになったころ、あるとき急に自分のオモチャを手に取って,「ドードー」「ドードー」と言いながら柵の間から隣りのベビーサークルの子の方に、差し出す仕草を始めたのです。最初その意味が分からなかったのですが妻が、
「ああ、おもちゃを渡したいのね」
と言ってアキュラの手からオモチャを受け取って隣りの子に渡します。どうやら「ドードー」は「どうぞ」という意味だったようで、おそらく妻の口ぶりをまねたものす。

 オモチャを渡された子は嬉しくもない様子で受け取り、アキュラもしばらく大人しく見ていたのですが、それからまた突然、火が着いたように泣き始めました。訳が分かりません。
 すると今度も妻が気づきます。
「あら、何か借りたかったの? 何か欲しいもの、あった?」
 あちらのお子さんのベッドにあるオモチャも大した数ではなかったので、その子のお母さんもすぐに気がついて、
「これ? それともこっち?」
と手に取って選ばせてくれます。それを見てほしいオモチャを指さし、まんまと借りることに成功したアキュラは、ようやく泣きやみました。

 何かを手に入れるためには、別の何かを渡さなくてはいけない――それは人間の記憶の中に染みついた、極めて本能的なものなのかもしれないと、初めて思った瞬間でした。

【日本の高度な贈答文化はなくなる】

 要はセーフティネットの問題なのです。
 一昨日お話しした古代の沈黙交易は、異なる集団が直接的に接触することで生ずるトラブルを、事前に回避する特殊な方法です。交換される物品は必ずしも必要なものどうしではありません。互いに相手の喜びそうなものを差し出し合うことで、互いに尊重し合おう、越境しないようにしようという確認の道具なのです。それはいわば相互的な朝貢であり、安全保障のやり方の問題なのです。そのようにして私たちの祖先は、自らを守ってきました。
 
 やがて社会は複雑化し、変化の速度も上がって贈答文化にも変革が起きます。贈答行為の様式化(時期や回数をそろえ、贈る相手を類型化する)――それが日本では中元歳暮の習慣なのです。様式化すると迷うのは品物の中身だけになり、いつ贈ろうかとか誰に贈ろうとかいった悩みからは開放されることになります。そんな習慣が数百年も続きました。そしていまなくなろうとしています。

 ある調査によると2023年度末に歳暮を贈った人の割合は22.4%だったそうです*1
 2020年の調査では30.7%でした*2から、たった3年で8%以上も下がったことになります。娘の婚家がやめようと言い出すわけです。私たち昭和世代の一部ですらやめようと言い始めるわけですから、この贈答文化の行く末は暗い。おそらく昭和平成の悪習として消えていくかざるを得ないでしょう。しかしそれでいいのでしょうか?
 人類が原始から携えて来た基本的習慣、1歳児でさえ本能的に使おうとする人間関係の技能を、安易に捨てても大丈夫なのでしょうか?
*1:【2023年冬】お歳暮はいつまでに贈る?ギフトを贈る時期や選び方を紹介 | 梅干し通販店【五代庵)】
*2:2020年、お歳暮を「贈る」人は約3割!今どき家庭の贈り物にまつわるホンネ | 株式会社主婦の友社 のプレスリリース

【差し出さなければもらえない。シーナは新たな米騒動を乗り切れるか】

 先週末、娘のシーナから緊急のLINEメッセージが入りました。
「そちらのスーパーでは米は売ってますか、、???
 こちらずっと米不足で新米がそろそろ入ると聞いて待ってますが
 いまだスーパーにお米が全くなく(涙)」
 そこで、
「ウチに5kgくらいあるし、スーパーにも売っていると思うけど、必要なら送ろうか?」
と返事をすると、
「送ってもらえたら嬉しいです。2キロでも(拝)」
 結局は送る間もなくシーナの方から、
「ありました! 別の店に。ゴメンナサイ!」
と追加のメッセージがあって事なきを得ましたが、同じことが私たちの死んだあとで起こり、しかも本格的なコメ不足だったらシーナは誰に相談して、誰に助けを求めたのでしょう? それを考えるとかなり不安になります。

平成の米騒動」と言われた1993年の夏、私の家はさほどコメ不足に苦しみませんでした。それは贈答文化の権化みたいな私の妻が、小口の米をこっそり売ってくれる農家の友だちをたくさん持っていたからです。日ごろからもののやり取りがあったので、声を掛けやすかったのです。まさに安全保障の問題でした。

 昔の人間はそうした安全保障の枠組みをたくさん持っていて、そうしたものに守られて安心安全な生活を確保しようとしました。親戚の絆を引き締め、向こう三軒両隣と仲よくし、町内会の協力し、子どもの学校ではPTAを介して人間関係を広げ、職場では労組を通して弱い自分たちを守り合ったものです。

【シーナは大門未知子ではない】

 令和の今、そうした昭和の知恵は片はし「陋習」として解体されつつあります。けれど私の子どもたちと同世代の人々は、頼れる親戚もご近所もなくし、リモートワークで職場への帰属意識も薄れさせてしまったあとで、ほんとうにひとりの力で生きて行けるのでしょうか? 予期せぬ様々な苦難に、夫婦だけで対処していけるのでしょうか? もちろんできる人はいると思いますが、私の娘と息子はムリでしょう。あの子たちは大門未知子ではないからです。
 
 例えばこの女。群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスとたたき上げのスキルだけが彼女の武器だ(「Doctor-X 外科医・大門未知子」)
――とそんな人間だったら、労組もPTAも町内会も、それどころか親戚も親兄弟、友だちさえいなくても平気でしょう。私からするととても危うくて見ていられないのですが、令和の若者たちの多くは大門未知子に近い自信があるのでしょうね。
 (この稿、終了)