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「1分で終わる超速心理学入門と学校教育」~指導助言の質を高める方法④

 学校教育と心理学の間には深い因縁がある。
 もしかしたら心理学が成立する以前から、
 学校教育の各所に心理学は入り込んでいたのかもしれない。
 精神分析学も行動主義心理学も、そして認知心理学も――、
という話。
(写真:フォトAC)

 心理学の成果が学校教育のあちこちに生かされているというお話をしています。しかし少し手順を間違えたみたいですので、心理学そのものの復習を、少しだけしておきます。題して・・・

【1分で終わる超速心理学入門】

 扱う対象で心理学を分類すると児童心理学だの犯罪心理学だの、あるいは学習心理学教育心理学・恋愛心理学・色彩心理学といくらでも出てきます。ところがこれを学問の潮流として分けると、精神分析学、行動主義心理学認知心理学ゲシュタルト心理学の4つにするのが一般的です。

 精神分析学は対話や観察、内省などを通して「心」を分析し、「心」のあり方を解き明かそうとするものです。心理療法の場では分析によって原因を突き止め、それを除去することによって問題解決を図ろうとします。心理学はここから始まりました。私たちが通常「心理学」と聞いて思い浮かべるのもこれです。
 特にフロイト博士以来「無意識」がテーマとされることが多くなり、目に見えない世界のことですからしばしば納得のできない場合もあったのですが、専門家から、
「そこ(無意識)ではこんなふうになっています」
と説明されると抵抗できない感じがありました。

 ところがやがて「心なんて目に見えないものを分析したって、それが合っているかどうかなんて分からないじゃないか、そんなの科学とは言えないだろう」と言い出す人が出て来て、一部は「目に見えるもの(=行動)」だけを頼りに、あるいは見えないものを見える形に変化させてから解明しようとし始めました。これを行動主義心理学といいます。行動を研究対象にする心理学という意味で、行動する心理学という訳ではありません。
 行動主義者たちは心理療法の場でも、問題の原因を追究しようとしたりしません。極端な話、原因なんてどうでもいいのです。問題が解決されるならどんな方法でもかまわないのです。彼らはそのための道具を山ほど持っていますが、基本的なものは「アメ」と「ムチ」です。
 
 この時期(20世紀前半)、精神分析学に対する批判は別の方角からもやってきました。ゲシュタルト心理学の人たちです。彼らは「人間の心は1+1が3になるような世界だから、その『3』を1+1+1に分けたら違ったものになってしまうだろう」と言います。よって彼らは人間の「部分に分けられない心」にこだわります。私はゲシュタルト心理学については詳しくないので、これ以上の言及は慎みましょう。
 
 認知心理学の人たちは同じ心理畑でも、他の人たちとはずいぶんと違いました。最初から人間に興味がないようにさえ見えたのです。
 彼らの興味の中心は心よりも脳、目や耳にありました。得意は「パイロットが最もエラーを起こしにくいパネル上の計器の配置」といったものです。学問対象の幅を極端に縮め、しかし4つの流れの中では最も科学的であろうとする人々です。学習心理学には強いが、お悩み相談には弱いといった感じがありました。

精神分析と学校教育】

 精神分析と学校教育は最初から親和性の高い関係がありました。
 教師は子どものことを常に考え、内面で起きていることを理解しようとします。生徒指導の場面ではいつも、
「なぜ、この子はこういう態度をとるのだろう?」
「どういった心の動きからあんなことを言ったのだろうか」
「いまのこの子の心の中には、何があるのだろう」
と考えています。そこには、
「ものごとには必ず原因と結果があり、結果がこの状況(惨状)である以上、急いで原因を探り、そこに修正を加えれば結果もおのずと違ってくるかもしれない」
という思いがあります。もしかしたら思い込みかもしれませんが、とにかく状況を合理的に説明する論理を探し出し、対処したいのです。そのために観察と対話、内省は激しく繰り返されます。

 生徒指導の場ばかりでなく、日常の授業の中でも精神分析的な手法は多用されます。教師がこう言ったら児童生徒はどう考え、なんと発言するのだろう、どういった錯誤の可能性があるのだろう、その修正はどうしたらいいのだろう――学習指導案はそうした心の読み合いの積み重ねから生まれてきます。しかしもちろん読み切れることはありません。

行動主義心理学と学校】

 行動主義心理学と学校の関係については昨日までに書いてきています。
 「児童生徒の心のサインを見逃すな」という言い方がありますが、30人も40人もいる中で発せられた小さなサインを、確実にとらえることなどできるはずがありません。見逃さないためにはサインが繰り返し発せられたり増幅されたりする装置や仕組みを、最初から仕組んでおく必要があります。かつての学校にはそうしたものがたくさんありましたが、今や多くが失われようとしています。将来的なその子の人権を守るためのものが、今は同じ人権の名のもとに失われて行くのは、まったく皮肉な話です。

認知心理学と学校】

 認知心理学の対象は、知覚・注意・言語・学習など知的な面に偏っており、“心理学”なのに“心”が置き去りにされてきた感じがありました。ところがここ20年あまりの間に急速に見直されてきた感じがあります。認知療法もしくは認知行動療法の勃興のおかげです。
 ただし認知心理学的な思考、認知療法的な生徒指導は、実はかなり昔から、学校の中に生きていたのです。
(この稿、続く)