「掃除で心が磨けるか」~学校から旧式の清掃がなくならないわけ

柔道、剣道、茶道、華道・・・およそ「道」とつく世界の入り口に清掃がある。
しかし今や英語やコンピュータの方が大事な時代だ。
心など磨いて何になる――と、
学校はここでも追いつめられる。
という話。(写真:フォトAC)

【掃除で心が磨けるか】

 京都宮川町の置屋では、舞子見習の修行の始めを掃除に置いていると言います。障子の桟のチリの払い方や畳の目に沿っての雑巾がけを、女将みずから一対一で教えるのです。しかし置屋の顔である玄関だけは別で、ここは女将が自分で掃除をして、見せることで学ばせる手法を取ります。見習いはただ黙って、どこに心配りがあるのか探るだけです。
 やがて女将の指導の元、自分でもやってみる日が来ます。丁寧に箒で掃き、水を打ち、格子の一筋一筋に雑巾を当てる。そのうち次第に、しっかりと掃除をすることが内面を磨き、内面を磨くことが外面を美しくしていく過程が見えてくるのです。

 この「掃除をすることで内面を磨き、内面を磨くことで外面も美しくなっていく」ということが理解できない人は日本人ではありません。もちろんこれは文化的に日本人ではないという意味で、国籍は日本でも文化的には英国上流階級の習慣に従っているという人もいれば、アメリカ生まれアメリカ育ちの生粋アメリカ人だが文化的には日本人という人もいます。日本人であるかないかは相対的なものですが、とにかく掃除を単なるroom cleaningだと考えるひとは日本人ではないのです。
 
 祇園の芸子修行と同じように、掃除を修行と考える世界は日本中にあります。寺社はもちろんですが、柔道・剣道・空手道、茶道も華道も香道、およそ後ろに「道」とついて求道的な活動を行う領域では、掃除が修行の入り口です。みな、「掃除が内面を磨き、内面が外面(見た目や行動)を美しくする」との思想を共有しているのです。
 
 ここで、
「なぜ掃除で内面が磨かれると言えるのか、また磨かれたとしてその内面が見た目や行動に反映するということにエビデンスはあるのか」
などといった野暮なことを言ってはいけません。それこそ「ピカソの『ゲルニカ』に芸術的価値があることのエビデンスを示せ」というのと同じで、世の中には根拠を示せない真実などいくらでもあるのです。
 掃除で心は磨けます。掃除を丁寧に続けてきた人たちが、各界で「道」を究めているからです。

【学校で清掃をすることの意味】

 寺子屋の伝統をもつ日本の学校も同じです。自らが学ぶ場は自らが清掃すべきであり、その清掃自体が修行であるという考え方は、わが国では現代にも脈々と受け継がれています。
 もちろん日本以外に児童生徒自らが教室を掃除する国は、旧社会主義国や貧しい国々にたくさんあります。しかしそれ自体を修行と考える国はそれほど多くはないでしょう。

 また我が国の場合、高温多湿で季節風も強いため清掃は毎日必要だったという事情もあれば、床や畳は直接横になることもあるから欧米諸国よりはるかに高い清潔度が必要だったといった事情もあるでしょう。丁寧な清掃が毎日必要となると人を雇えばとんでもない金が必要になるわけで、そんなところにも児童生徒に頼らざるを得ない事情がありました。しかし予算が潤沢にあったとしても、日本の教育は清掃を手放さなかったでしょう。

 さらに言えば欧米のいくつかの国々では、学校清掃を移民やアフリカ系・アラブ系市民が担っており、その姿を毎日見ることで、子どもたちは差別を学んでいるとも言われています。清掃業は最下層民しか行わない卑しい仕事で、その清掃業についている人々はやはり卑しい人だというわけです。確かに自分が汚したところの後始末をする人ですから、自分より上ではない。
 日本ではそういうことはないでしょう。ディズニーランドの清掃員や新幹線の車内清掃など、あこがれの気持ちさえもって見られています。それも日本の子どもたちが、自分自身でずっと掃除をしてきたからなのです。

【雑巾の時代は終わらない】

 さて、先日(2022.09.07)テレビ朝日のニュースで「【賛否】小学校の“雑巾がけ”必要?「精神論」も…」という話題があったようです。
 なんで今さら雑巾を? とも思ったのですが、学校のことは何でもニュースになりますし、古臭そうな部分を取り上げれば批判のコメントもいくらでも集められる、ということで社会ネタの少ない時に扱いやすいのでしょう。
 もっともこのニュースに限って言えば、最後は雑巾がけの価値を述べたところで終わっていますから好意的とも言えますが、タイトルの「精神論も…」はいけません。
 
 「精神論」には「俗に、精神を強調しすぎて現実離れする考え方を揶揄(やゆ)していう。精神主義」(コトバンク)という意味があって、テレ朝は明らかにこちらの側から皮肉っています。しかし「精神論」はもともとが「物質的なものよりも精神的なものに重きを置く立場の考えや論」という意味です。その点で学校清掃はまさに「精神論」そのもので、むしろこちらの観点から内容を整えるべきでした。そうすればもっといいニュースになったのに。
 
 テレ朝は「家では、ロボットが掃き掃除から拭き掃除までやってくれる時代。なぜ」と疑問を呈していますが、家でやらないから学校が肩代わりしている教育など、いくらでもあります。インタビューに答えたお母さんの中にも、「家で雑巾がけとかあまりしないので、子どももそういった意味では、『何で学校でだけ?』という思いもある」とおっしゃる方がおられましたが、どうぞお家でもやらせてみてください。部屋の隅やものの陰など、雑巾でなければ拭けないところもあります。それに畳は雑巾がけするものだということ、忘れていたのではないですか?
 
 自分が知らないことでも世の中に存在することはいくらでもあります。 謙虚になって、いちいち調べてみることも大切でしょう。
 
(参考)

kite-cafe.hatenablog.com

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