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「なくなったPTAも必ず復活する、別の名前で」~PTAをなくす学校が出てきた③

 欧米のように学校の責任を限定的にしない限り、
 PTAは学校と保護者の双方にとって決定的に重要な存在だ。
 重要で必要性があるなら、それは名を変えて必ず復活する。
 だったら最初からなくならないよう、校長や役員が訴えればいいのだ。
 という話。(写真:フォトAC)

【PTAがなくなっても問題はないと報告されている】

 昨日はPTAが学校にとってどれほど有益で必要不可欠なものか、というお話をしました。ただしそれは一般的な話であって、飛び抜けて有能な管理職の下にある学校で、校長がPTA抜きでもあっという間に地域との関係をつくってしまい、地方自治体からの予算の引き出しにも長けた人であるなら問題はないのかもしれません。しかし同じ人が何百年も校長を続けるわけではありません。
(ここは、自ら積極的にPTAを潰してしまった校長先生に対する皮肉です)

 一方、保護者にとってPTAがなくなることにデメリットはないのでしょうか? 
 これについてはすでにPTAをなくしてしまった学校の保護者から、「問題なし」という報告がネット上にいくつも上がっています。聞けば運動会のお手伝いなども保護者ボランティアが十分に揃い、「PTAで強制的にやらされていたころよりも、みんな生き生きと自主的に活動している」のだそうです。強制からボランティアにしたら生き生きとやるようになったというのはよく聞く信じられない話ですが、人数は揃ったのでしょう。
 PTA時代と同じ数が自然に集まるわけはありませんから、知己を頼って声を掛け合った結果なのでしょう。奉仕の気持ちなどさらさらないのに、心配で駆けつけた善意の保護者もボランティアというなら何とかなります。
 いずれにしろ行事に滞りがなければ傍から見ると「問題なし」ということなのですが、問題は目に見えないところにあるのです。

【PTAがなくなると、保護者は自らの代表を失う】

 まず考えられるのは、PTAがなくなるということは保護者にとっての代表者がいなくなる、学校と交渉したいことが出てきたら個人個人で対応していくか、そのつど有志が集まって代表者を決めて対応するしかないということです。問題が学校全体に関わることなら、さらに保護者を糾合して全体の代表者を決めるしかありません。実際にはそんな深刻な問題はめったに起きませんから、しばらくは不安を抱えながらも静かに過ごしていくことになりますが、一度でも「児童生徒が交通事故に遭う」「不審者に連れ去られそうになる」といった事案が起これば、ことの深刻さが半端ではないことはすぐに理解されます。
 
 現代のことですから事件・事故があればその日のうちに学校は、保護者会を開いて説明してくれます。しかしどの程度まできちんと話してくれるかは定かではありません。さらに学校や警察の今後の対応についても説明があるはずですが、忙しい教員と警察に任せておいて大丈夫なのか、心もとない限りです。
 保護者の見回り当番はPTAの消滅と同時に「有効性が証明されていない」ということで取りやめになっていますし、再び始めようにも担ってくれる主体がありません。警察にパトロールの回数を増やしてもらうにしても、保護者側から陳情に行ってくれる人さえいないのです。校長をせっついて警察に行かせる人もいない。次の事件・事故に備えて通学路を見直そうという動きも、保護者の間からは出てはきません。
 そんな不安な状況に、親は耐えていけるのでしょうか?

【有能でないとママ友もパパ友もできず、校内の情報弱者になってしまう】

 PTAがなくなるということは行事――PTA作業やバザー、資源回収がなくなるということです。保護者同士の親ぼくを兼ねた学級レクだの学年レクだの、あるいはPTA主催の研修会やら講習会、飲み会だのもなくなります。
 気楽と言えば気楽ですが、それは同時に保護者同士が仲良くなる機会が奪われる、ママ友・パパ友をつくることが非常に難しくなるということでもあります。コミュニケーション能力に優れた保護者ならいいのですが、そうでなければ校内の情報弱者にあっという間に転落です。SNSでつながる機会の逸すると何も話が入ってきません。
 
 SNSで流される情報は必ずしも有益なものとは限りませんし、中にはフェイクに近いものもあるでしょう。しかし情報網から外された者にとってはそれすらも宝石のように思えたりするものです。疑心が暗鬼を生み出します。
 そんな状況が長くつづくとは思えません。

【なくなったPTAも必ず復活する。別の名前で】

 私はPTAが消えても一部の機能や仕事は復活すると考えています。どうしても必要なものだからです。
 まずは学級PTAが「オヤジの会」だとか「ママの会」だとかいった名称で復活します。親たちに繋がりのない状況が長く続くとは思えません。一朝、事件・事故があればすぐにも復活するでしょう。学級レクだってすぐに復活しますし、ずいぶん以前からなくなっていた保護者同士の飲み会だって復活しかねません。
 
 PTA会費に頼っていた部分は別の名目で集金されるようになります。それがなければ他校に比べて教育環境が悪くなってしまうからです。図書費・修繕費・入学式と卒業式のリボンやコサージュ代金、PTA作業に代わるボランティア作業の材料費などですが、「学校施設拡充費」とでも名付けましょうか。私立学校や大学ではよく聞く話で珍しくもありません。
 もちろん市教委がPTAをなくしてしまった学校に優先的に予算をつけてくれれば別ですが、そんなことをしたら真似をする学校が次々と現れて市予算を圧迫しかねません。まずはしてくれないでしょう。
 
 校長はPTA会長に代わる、直接的で強い支援者を探さなくてはならなくなります。学校評議員の中に保護者代表を入れるのが一番可能性のある方法です。PTA会長を選ぶのと同じ手続きになるので大変ですが、校長先生自身が自らの資質に絶対の自信がある場合を覗けば、そこだけはしっかりやっておかないとホゾを噛むことになります。いや、絶対の自信がある校長先生も、次の世代に向けて今から準備をしておくべきです(と、ここにも皮肉の粉を撒いておきます)。

【みんなが分かっていないのだから、校長が訴えなくては!】

 PTAの名を持たないPTAの復活は、おそらくとんでもなくたいへんな大仕事となります。それよりは今あるPTAをなんとか潰さないようにする方がまだ楽です。
 
 今から十数年前、情熱をもった一組の夫婦がPTAは任意団体であると気づいて脱会を決心します。ただ、一家庭だけで抜けることには抵抗があったので、任意団体であることを広く知らせるよう、学校や教育員会に迫りました。そこにマスコミ・ポピュリズムが乗っかります。
 かくして小学校の来入児説明会などで校長は必ず、PTAが任意団体であることを説明し、無理に入る必要のないことを明らかにしなくてはなくなりました。それが今日のPTA崩壊に繋がっています。しかし本当はそれと同時に、PTAが学校と保護者双方にとってぜひとも必要な存在であることを、校長は情熱をもって伝えなくてはならなかったのです。

 2023年3月12日付の「まいどなニュース(『学校のPTAをどう思いますか? 3位「やりたい人だけやればいい」、2位「時代に合っていない」』)」*1は、
『中学生以下の子どもを持つ全国の20~60代以上の親200人に「学校のPTAをどう思いますか」と聞いた』結果を記事にしています。それによると、
「1位:強制はしないでほしい(47人)」
「2位:時代に合っていない(44人)」
「3位:やりたい人だけやればいい(42人)」
 それに対して「もっと保護者が参加すべき」は第6位(9人)、「素晴らしい」は最下位たった2人しかいません。
 世の中の人たちはまるで分っていない。
 校長先生だって管理職になるまでは、分かっていなかったことも多いのではないですか? だったらやはり管理職やPTA会長が訴えなくてはならないのです。