カイト・カフェ

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「誰のためのPTA・自治会か」~人生のハンドルを自分で握る者①

 知らないうちに私の地元の小中学校からもPTAがなくなった。
 保護者を代表する人がいなくなったことに、誰も怖れを感じない。
 その事実が、また私には恐ろしい。
 同じく自治会も消されようとしているが、それも怖い。
といういつもの話。(写真:フォトAC)

 PTAの問題はすでに何回も扱っていますが、重要で、危機感の大きなことなので、改めて記しておきます。

【人生のハンドルは自分で握っていたい】

 これは単なる性分の問題なのかもしれませんが、私は自分の人生のハンドルは最後まで自分で握っていたい人間です。ですから他人の運転する車に乗ることは好みませんし、飛行機より船が好きです。大して泳げないのですから遭難したら空も海も同じですが、最後は自力でじたばたしたいのです。もちろん病気になって手術が必要な時に自分で執刀という訳にも行きませんが、手術を受けるかどうかの判断は自分でしなくては気がすみません。自分で決めたこと、自分で犯したことの責任は、自分で取ります。

――と、ずいぶん仰々しい書き出しですが、何があったのかというと、昨年、近隣の中学校でPTAを廃止してしまったと衝撃を受けたばかりなのに、今年度はなんと現在の私の住所を学区とする小中学校が、同時にPTAを廃止してしまったらしいのです。
 両校ともPTA作業など保護者の協力が必要な場合には校内にボランティア・グループを立ち上げて対応するようなのですが、「役はしなくて済む」「PTA会費は払わなくて済む」「仕事を休んだり休日を返上したりしての作業や活動がなくなって楽」だと大好評だといいます。
 
 私は両校に子どもがいるわけでもありませんし、孫が通う予定もありませんから未来永劫に渡って無関係のはずですが、それでもPTAがなくなると聞くと震えます。ネット動画で高いビルを飛び渡るパルクールを見ているだけでも震えるように、生理的な戦慄が走るのです。
 学校から保護者代表がいなくなってしまうのですよ? 怖くはないですか?

【保護者の代表がいないということ】

 例えば修学旅行先で子どもたちが大地震に遭ったら、事故に遭ったら、食中毒かなにかで集団で入院したら、誰が学校へ情報を引き出しに行ってくれるのですか? 学校をせっついて一秒でも早く対応策を引き出す仕事は、誰がしてくれるのですか? 保護者の方にあるかもしれない斬新なアイデアを拾い上げ、学校に伝える仕事は誰がしてくれるのでしょう? みんなで大挙して職員室に押しかけるのですか? 声の大きな人に任せてしまうのですか? それとも学校が良き情報をもたらしてくれるよう、心の中で祈りながら指を咥えて待っているのでしょうか?

 ――私が人生のハンドルを握っていたいというのはそういうことです。これまではいざというとき、PTA会長を動かせば良かったのです。議員も使えますが、そんな大ナタを最初から振り回しては、東日本大震災のときに福島第一原発に駆けつけた菅直人元首相のように、現場にとって迷惑なだけです。できれば穏便に、素早く、正確に、融和的にことを運びたいものです。そのためには常設の保護者代表が是非とも必要で、PTA会長はそのためにいるのです。

【自分たちの学校の利益が誰かに奪われるかもしれないということ】

 もうひとつ――PTA会長の中には、学校の利益になることを積極的に引き出してくるような人がたくさんいるということ、それも見逃せません。
 卒業式や入学式の来賓控室が格好の陳情の場だという話はつい先日しましたが、そうした特別な日ばかりではなく、日常的に役所・役場に行ってあれこれ相談してきてくれる会長がいます。市町村PTA連合会の会合や何かで顔見知りになっていますから、議員や市町村教委と話が通しやすいのです。その人たちが予備の予算を優先的に取っていきます。しかしPTA会長のいない学校には一銭も回ってこないかもしれません。校長先生あたりが頑張ってくれても、自分たちの血を流さない(自前の予算をつくらない)学校に、好意的な教委もないでしょう。予算は枯渇したらそれで最後、あとからどんどん増えてくるようなものではありませんから、順番が回ってくる頃にはもう金はないのかもしれません。

【文明人は働かかずに利益を得る夢を見る】

 文明というのは自分たちがやっていたことを他人や機械やシステムに代行してもらうことです。したがって文明人にとって「自分たちがしないこと」と「利益を得ること」はセットになります。そのスローガン、
「できるだけ少ないコストでより大きな利益を」
は、まさに消費者マインドそのものです。学校の保護者や地域の住民は、今や自立的な協力者から単なる消費者になり替わろうとしています。いや、すでになってしまいました。

 しかし安心・安全は必ずしも他人まかせで十分なものではありません。無限の予算があるわけでもないし、金がないからと言って先延ばしにしていいようなものでもなく、自力で補わなくてはならない部分がたくさんある部分です。そのためにつくられたのがPTAであり、労働組合であり、そして町内会(自治会)なのです。

 私は地元の小中学校がPTAをなくしてしまったことのツケは必ず払う日が来ると思っています。なぜならPTAに助けられて学校運営をして来た事実を、ずっと見て来たからです。「PTAがなくなっても、何も困らなかった」という人たちは、PTAを表層でしか見ていない人たちです。

自治会のうた~自治会加入キャンペーン~】

 学校におけるPTAと同じ役割を地域で担っているのが自治会(町内会)です。
 街の美化や防災・安全は一義的には地方自治体の仕事です。しかしだからと言って私たちは際限なく高い税金を払い、高負担=高公共サービスの社会を実現しようとは思っているわけでもありません。税金はほどほどに、しかし不足分の公共サービスは自分たちで何とかしましましょう――それが自治会です。自分たちの組織ですから街灯の蛍光灯1本を取り換えるのも、とにかく早い。市町村に任せておいたらいつになるか分からない仕事を、自治会は自分たちでやろうとしているのです。自力更生が身上なのです。

 私は最近「自治会のうた」という曲があるのを知りました。福岡県飯塚市飯塚市自治会連合会が一緒につくった一部ラップ風の曲です。飯塚市のサイト(*1)にはこんなふうに紹介されています。
飯塚市では、若い世代(Z世代・ミレニアル世代)にも自治会活動に興味を持ってもらいたいとの思いで、オリジナルソング「自治会のうた」のミュージックビデオを飯塚市自治会連合会と一緒に制作しました。
若者から支持を集める7coさんが楽曲を制作、ラップ系のチルソングに仕上げていただきました。
「若い世代に自治会の存在に気づいてほしい」
まずは、この動画を見てみることから始めてみませんか』
 とりあえず、見てみましょう。
(この稿、続く)