カイト・カフェ

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「子どもの不思議:捨てたものまでついてくる」~学級というルツボの扱い方③

 子どもを伸ばそうとするとき、
 全体的に下支えをして丁寧に持ち上げるという方法がある。しかしたいへんだ。
 そうではなく、その子の一部分をつまんで引き上げると、
 予期しない力まで一緒にすうっとついてくることがあるのだ。

という話。

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(写真:フォトAC)


 その子のためにも、学級全体のためにも、子どもを叱らなくてはならないのに、叱ったところでなかなか良くならない――この難問に取り組む前に、ひとりの子どもの中に存在する“困りもの”についてお話しします。苦手教科というやつです。中学校なら9教科もあるのに1教科だけ、どうやっても成績の伸びてこない頑固なアレです。
 
 

【心に残る心配な子の困った状況】

 それは中学1年生で私のクラスに入学してきた“付箋つき”の女の子です。
 “付箋つき”というのは何らかの心配があって小学校の担任が別に申し送り状をつけた子のことで、古くはそうだったのでしょうが、私が現場にいたころは付箋などついているわけではなく、別封筒に2~3枚、マル秘あつかいの書類が入っていただけでした。“札つき”と似ていますが悪い子というのではなく、特に気を使ってやりたい子、気にかけていたい子、といった感じです。

 その子の目に見える心配な行動は「抜毛」でした。一般的にはストレス性の異常行動と考えられるもので、小学校の担任は原因を母親――、特に子どもの学習成績(中でも算数の成績)を気にしすぎる母親のせいだと考えていました。確かに他の教科は平均並なのに、算数だけが中学校で言えば「1」みたいな成績なのです。
 現在は「学習障害(LD)」という概念があるので対応は楽なのですが、当時は努力で何とかなると考える人が多かったのです。

 もちろん算数も心配でしたが抜毛の方は危機的な状態で、会うと見るからに髪が薄く、頭頂部近くに皮膚病を疑いたくなるようなハゲがいくつもできていました。周囲から気持ち悪がられても不思議ありません。そこで私は4月末の家庭訪問で、その点だけは話してこようと決心して出かけたのです。
 そしてこんな話をしました。
 
 

【お母さん、1教科まるまる棄てちゃいましょう】

「ねえ、お母さん、確かに算数は気になる。すでに数学も本格的な授業に入り、けれどこの子は半分も分かっていないのかもしれない、きっとしんどいでしょうね。このまま努力を続けてもどこまで成績を伸ばせるか――どうしたって不安になりますよね。でもこんなふうに考えたらどうでしょう。
 高校入試は国語・社会・数学・理科・英語と5教科もあるのです。これ、全教科で好成績を取らないと勝てない勝負だと思います? そうじゃないですよね。
 4勝1敗だったら何の問題もない。3勝2敗でもいい勝負ができるでしょう。2勝2敗1引き分けとか1勝1敗3引き分けだとかでも、学校によってはさほど問題にならない。つまり1教科全滅でも、ほかで頑張ればどうってことないのです。

 勉強ではよく「弱点補強をしましょう」なんて言いますが、それが向いた子もいればまったく不向きな子もいるのです。
 例えば5教科で、90点、90点、60点、90点、90点みたいな子がいたとしましょう。こうした子には弱点補強がいいのです。だって90点も取っている教科、このあとどんなに頑張ったって10点しか上げられないでしょ? 100点満点ですから。でも60点の科目だとあと40点も上げる余地がある。だから頑張りがいはあるし、やっただけのことはある、ということになります。

 ところが同じ苦手教科でも60点、60点、30点、60点、60点のような場合はどうでしょう。できる科目とそうでない科目の差は同じ30点ですよ。でも100点満点で30点しか取れない科目なんて、本当にメチャクチャ分かっていない科目でしょ。さっきとは違って伸びしろが70点分なんて呑気に言っていられない状態です。これで『さあ弱点補強だ、がんばれ!』というのはあまりに酷です。例えば私たちが薬学部の3年生くらいに突然編入させられて、毎日わけの分からない薬品の話を聞かされているのと同じようなものですから。

 そこでどうです? 数学、諦めちゃいません? この子を数学者にしようなんて気持ちはないでしょ? どうしても東大に入れたいってこともありませんよね。だったら高校入試は1教科全滅だってかまわないのですから、気持ちよく学習できる教科で頑張らせましょう。特に英語なんて始まったばかりで、全員がスタート地点です。頑張りがいのあるところだと思いますよ」
 
 

【捨てたはずのものがついてくる――柿と豆腐と納豆の話】

 「熟し柿は(自然に)落ちる」という言葉があります。機が熟したらなるものはなるという意味ですが、逆に言えば熟していない柿は落とそうと思ってもなかなか落ちないものです。小学校の担任の先生だって同じようなことを何度も話していたはずですが、母親の気持ちを変えることはできませんでした。しかし中学校入学という節目を迎え、中学校の教員という何か恐ろしげな人から言われると、落ちるときは落ちるのです。機は熟していました。

 母親はそれきり数学のことは一切かまわなかったようです。もちろんもともと勉強の得意な子ではありませんから、数学以外の教科が爆発的に良くなったというわけでもありません。しかし何といっても抜毛はなくなり、3年間、気持ちよく学校生活を送って無事卒業していきました。
 そして驚いたことに、諦めたはずの数学でも、他の教科や他の子たちからはずいぶん劣るものの、そこそこの成績を上げて高校入試を迎えることができたのです。そこが子どもの面白いところです。

 子どもを成長させようとするときは、豆腐を持ち上げるように手のひら全体で、底から持ち上げようとするとなかなか大変です。もちろんそれでもいいのですが力も要りますし、持ち上げる方も持ち上げられる方も危なっかしく、失敗するとグシャグシャです。
 そうではなく、子どもを引き上げるときは同じ大豆製品でも納豆のように、よく練ってから引き上げるという方法があるのです。これだと全体を持ち上げるのではなく、一部を引き上げるだけであとは付いてくるのです。上げそこなって容器に残る豆もありますが、能力や技術に取り残しのあるのは人の常ではないですか。

 勉強が片っ端ダメな子には、とりあえず1教科だけでも楽しく学べるものをつくってやります。それもダメなら部活だけでも生き生きと活躍できるよう配慮します。生き生きと楽しく学校に来てさえいれば、いつか埒が開きます。
 そしてそのことは、多様で雑多な子どもたちの集まる学級というルツボ全体についてもいえることなのです。

(この稿、続く)