カイト・カフェ

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「突然、ジャイアンの歌がうまくなったわけ」~学級というルツボの扱い方④

 子どもに限らず、人を変化させ、成長させるのは難しい。
 ところが家庭ではできない子どもの成長を、学校が簡単に果たすことがある。
 街の空き地のジャイアンは歌が下手でも、
 音楽の時間にはそれなりに歌っているのだ。

という話。

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(写真:フォトAC)

 
 

【すばらしいクラスの困った問題】

 クラスの中に全体の調和を激しく乱す子がいてどうにもならない――そんな状況を見事に解決した事例を、私は見たことがあります。
 それは中学校の文化祭の、校内合唱コンクールの場で起こったことです。

 1学年10クラスという大校で、それだけに合唱コンクールはとんでもなく熱が入るのですが、私がこれから取り上げようと思っているクラスは、大きな問題を抱えていました。というのはそのクラスを原級とする特別支援学級の生徒が、合唱では戻ってきてしまうのです。
 特別支援学級だからどうこうという話ではありません。しかしその子は能力がいびつで、合唱への意欲は強く、長い歌の歌詞も簡単に覚えてしまったのですが、とにかく音が外れやすく、しかも声がバカでかいのです。ですから一緒に歌うとその子の外れた声ばかりがビンビン響いて、どうにもなりません。
 対策としてはまず、音程がしっかりするようたくさん練習をさせるところから始めるべきですが、その気持ちもなかなか伝わって行かない。

 担任は新卒2年目の生きのいい男性教諭で、本人は体育会系を自認しているのですが学級内での様子はどう見ても「ドラえもん」のジャイアン――いわば先生君主、いや専制君主
 我儘な担任の許で生徒たちはみな平等、互いに気安く、担任の被害にあわないようにかばい合うことができるという、元を質せば感心できない原因ですが、とてもいい感じのクラスでした。そこに降ってわいたもう一人のジャイアン問題――。
 音の外れた歌を、大声で歌ってやめてくれない同級生は困り切っていました。仲の良いクラス、彼らだってコンクールで賞を取りたいのです。

 ここは担任の出番かな? と傍から見ていた私は思っていました。良い方法ではありませんが当該の子に、もう少し声を小さくしてもらうとか、極端に言えば口パクで凌いでもらうとか、そんな方法しかないかなと思い始めていたのです。もちろんやってみたところでおとなしく従ってくれるとは限りませんが――。

 ところがこのクラスは問題を、“全員がさらなる大声で歌ってその子の声を消してしまう”という方法で乗り切ろうとしたのです。おそらく大人のジャイアン(担任教諭)の発案なのでしょう。
「お前ら! もっとでけぇ声で歌ってあの声を消してしまえ!」(とでも言ったのでしょうか?) 

 怒鳴り声に近い大声の合唱が芸術的にどうなのかはよく分かりませんが、おかげでそのクラスは学年2位の銀賞。きっかけとなった生徒の外れた声も目立ちませんでした。ところがほんとうに驚かされたのはそのあとのことでした。
 大人のジャイアン(担任)が私のところにやってきて、こういうのです。
「どうです? 〇〇君、すごくうまくなったでしょ?」

 正直に言って面喰いました。私はほんとうに音楽を聴き分ける能力に欠けているので、そういった観点で合唱を観ていなかったのです。支援学級の子の声が目立たなかったのは確かですが、それを単に、他の子たちの声が大きかったからだと思い込んでいました。でもそれだけでは銀賞は取れなかったでしょう。
 のちに音楽科の先生に聞くと、
「ああ、あの子、うまくなりましたねぇ、それでも外れているけれど・・・」
とのことでした。
 
 

【麻中之蓬(マチュウ ノ ヨモギ)】

 教員の大好きな四文字熟語に「麻中之蓬」というのがあります。元は中国の荀子の勧学編に出てくる話で、
『蓬生麻中 不扶而自直』
(蓬、麻中に生すれば、扶(たす)けずして直し) 
《くねくねと曲がり易い蓬(よもぎ)も、麻の中に生えれば支えがなくとも真っ直ぐに育つ》

という意味です。

 そもそも初任校の体育館の扁額にもあったもので、教師になったその日から繰り返し聞かされてきた言葉です。しかし私はそのたびに、「だからいいクラスをつくらなきゃだめだよ」と説教されているみたいで素直になれない言葉でもありました。いいクラスづくりができていなかったからです。

 けれどあとから考えると、この言葉は必ずしも「だから良き集団をつくれ」に帰結する必要はありませんでした。「孟母三遷の教え」のように「だから良い場所へ引っ越せ」でも、「だからよい友を選べ」でもかまいません。そして先の合唱コンクールの事例から私は、「だから蓬を真っ直ぐに育てようと、それだけを頑張る必要はない」ということを学んだのです。

 

 

【突然、ジャイアンの歌がうまくなったわけ】

 大人ジャイアンのクラスで子どもジャイアンの歌がうまくなったのは、周囲の声が聞こえるようになったからです。練習の最初の段階では自分の声しか聞こえず、他に合わせる必要がなかった。それが自分を圧倒する歌声に囲まれると、自然と影響を受けるようになった、合わせざるを得なくなった、彼の歌がうまくなったのはそのためです。

 もし、最初私が考えたように本気でその子の歌を直そうとしたら、手間もかかりますし必ずしもうまく行くとは限りません。そうこうしているうちに私も苛立って怒鳴り声をあげ、子どもジャイアンは意気消沈し、あるいは反抗心に火がついて、いずれにしろロクなことはありません。
 だからと言って「小声で歌いなさい」「口パクでもいいよ」ではその子に理解してもらえないならまだしも、最悪の場合は二度と歌ってくれなくなるでしょう。

「麻中之蓬」
 結局、蓬が麻の間で真っ直ぐに育つのを、時間をかけて待つしかないのです。その間、周囲の麻も成長過程にありますから、私たちとしては蓬にエネルギーの大部分を奪われることなく、麻も強くたくましく育つよう、十分に力を尽くさなくてはなりません。
 周囲がしっかりしていれば、蓬も「扶けずして」しっかりしてくるのです。

 さて、原理は分かりました。事例も合唱コンクールの話でひとつ提示しました。しかし問題は何も解決していません。今週の話のきっかけとなったツイッターの記事、
 発達障害の子を叱りすぎてしまった
 授業中タブレットで友達を撮影していたので取り上げてしまった
 それに拗ねて掃除をサボったのでさらに叱ってしまった。

 そういう状況は現在も続いているでしょうし、その子が麻の中で麻と一緒に育つのを待っていることもできません。もしかしたらこの蓬、案外強くて麻畑をなぎ倒してしまうかもしれないからです。

 人を育てるには時間がかかるなんて百も承知ですが、いま目の前のこの子も何とかしなければならない――この二律背反を解くのは難しく、そこには別の観点が必要になってきます。

(この稿、続く)