カイト・カフェ

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「秋葉原通り魔事件の救いようのない裂け目」~分断と乖離の、あちら側とこちら側 

 明日は付属池田小事件と秋葉原通り魔事件の起こった日。
 8年の時を隔てた二つの事件に、大量殺人という以外の何の共通点もない。
 付属池田小事件は特別な場所で起こった特異な事件、それに対して、
 秋葉原事件は私たちの身近にある、さまざまな乖離と分断を見せつける。

という話。

f:id:kite-cafe:20210607084230j:plain(写真:フォトAC)


【二人の大量殺人者】

 明日、2月8日は日本犯罪史上に残る二つの大量殺人事件の起こった日です。ひとつは附属池田小事件(2001年)、もうひとつは秋葉原通り魔事件(2008年)。

 しかしこの機会にもう一度パラパラと振り返ってみると、ふたつの事件は似ていて全く異なるものだったと改めて思います。一言でいってしまうと附属池田小事件の犯人である宅間守は私からかなり切り離して見ることのできる人物で、秋葉原事件の加藤智大はどちらかというと私の側に近い人間だということです。

 乱暴な言い方ですが、宅間守という人は性格の中心に粗暴で衝動的なものを持って生れ、それを包み込んで矯正するような家族に育てられれば良かったのですが、暴力的な父親と育児能力のない酷薄な母親に育てられ特異な怪物になってしまった――そんな気がするのです。
 例えば生まれたばかりの私を意図して宅間守に育てようとしたら、よほど丁寧な操作を繰り返さないとそうはなれないはずです。宅間守は最後まで、一片の反省も詫びもなく死刑台に消えていきました。そういうことのできる、そういうことしかできない人物だったのです。
 
 

【ネットのこちら側とあちら側】

 しかし加藤智大の方ははるかに普通です。普通の両親に育てられ、普通に進学し、普通に挫折して、普通にうまく行かない人生を送っていました。ハケン労働者として働く期間が長かったものの、正社員であった時期も準正社員だった頃もあります。多少衝動的なところがあって、職場で気に入らないことがある話し合いだの粘り強い対応ができず、無断欠勤の末に辞めることを繰り返しますが、おおむね職業人としての生活には満足していて、現実とネットの双方に友人もいました。

 ただし人と人はうまくかみ合わないことがあります。うまく気持ちが伝わらなかったり、必要な時に必要な支援が得られなかったり、望んだものと反対のものが訪れたりといったことです。
 加藤智大の場合は現実世界がうまく行っていないときにネット社会(掲示板)でもチグハグなことが起きていました。「なりすまし」が現れて開示版を荒らしたり、自分の位置がわからなくなってきたりしたのです。しかしそんな彼の困惑を、ネットの友人は等身大で正しく理解してくれなかったようです。

 かつてはネット社会で自虐キャラが大いにウケ、現実社会では自殺をほのめかすとたくさんの支援・支持が得られた自分が、どうやらうまく理解され受け入れないらしい。そう言えば勤め先を辞めるときも、無断欠勤を続けることで誰かが心配して駆け付け、事情を聴いて一生懸命に説得してくれるはずが、ほとんど誰も来ず、結局、辞めざるをえなかった、あれと同じなのかもしれない、やはり自殺予告のような明確な信号を出さないと人は動いてくれないかもしれない――加藤智大はそんなふうに考えたのかもしれません。
 ところが“自殺予告”といったネット社会ではごくありふれたものと違って、大量殺人などという“起こりっこない予告”に対して人々は意外と冷淡だったのです。
 ナイフや包丁といった刃物を数種類あつめ、レンタートラックを契約し、秋葉原の交差点で赤信号のために止まっても、ネットの向こうの反応は極めて鈍い――そうです。加藤智大の現実は、テレビやラジオといった別のメディアで共有されるまで、ネット市民にとっては仮想のままだったのです。そして誰も本気で止めにかからなかった、加藤の意に反して――。
 
 

【肉体と意識】

 秋葉原通り魔事件については、当時さまざまに思うところがありました。
 ひとつは救急隊員に「大丈夫ですか?」と訊ねられ、「大丈夫です」と答えたばかりにトリアージの網目から漏れ落ちて失血死してしまった女子大生のことです。

 実際に刺されたその時は、そこまで大ごとだと感じていなかったのかもしれません。
 私は刺されたこともないし映像として本物の殺人場面を見たこともありません。しかしドラマでは被害者たちが「ウッ」と低く声を出して倒れ、駆けつけた人に荒い息で最期の言葉を残して死んだりします。「痛い、痛い」とかギャーギャーとか、大騒ぎして息絶える場面は見たことがありません。
 もしかしたら人間は本格的な傷を負うと、脳が痛みを遮断してしまうのかもしれません。ウサギも、獣に襲われると苦しみが長引くことを避けて、自ら心臓を止めてしまうといいます。
 しかしそうなると肉体の現実と脳の見る現実とはまったく違ったものになってしまいます。肉体は死に瀕しているというのに、意識は平生のままでいる――。

 もちろん痛みはなくてもその傷が死に至る可能性のあるものだと知っていれば、救急隊員に対する答え方も違ったものになっていたでしょう。しかしそれも素人に判断できるものではありません。
 たったひとこと「ダメです、助けてください」と言えば助かったかもしれない命――そう考えると遺族もやりきれないだろうな、そんなふうに思いました。
 もしかしたら、女子大生は痛みはひどかったものの他の人を優先させようとして大丈夫だと答えたのかもしれない、そんな考え方もしてみましたが、私のような老人が自分を後回しにするのと違って、それも若い人のやるべきことではないと思いました。
 
 

【車道の上、歩道橋の上】

 もうひとつは、当時のニュース番組がとらえていた事件現場の映像です。
交差点のあちこちに倒れた人がいて、そばに数人が取りついて延命活動を行っている、ところが周辺の歩道や歩道橋の上には鈴なりの人がいて、皆一斉に携帯をかざして写真を撮り続けているのです、その異常さ。

 被害者の救命に役立つ人とまったく役立たない人。当事者と傍観者。切実な人と指先の傷ほどにも心痛まない人々――その対比は恐ろしいほどでした。もちろん私も、現場にいないだけで、携帯をかざしてみている人たちと何ら変わりない傍観者のひとりです。

 いざというときに直接いのちを助けることができる生き方をして来ればよかったと、本気で思ったのもそのときです。しかし人生にそうした選択のできる瞬間はいくらでもあったのに、そうしてこなかったのはやはり私がその程度の人間だったからに違いありません。