「新幹線の安全と浮かび上がる容疑者象」〜新幹線無差別殺傷事件について1

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【一日違い】

 日曜日の朝のニュースで前夜(6月9日夜)、東海道新幹線内で無差別殺傷事件があったことを知って慌ててカレンダーを見ました。間違いないと思いながらも、過去の二つの事件と同じ日付けでないことを確認して、少しホッとしました。二つの事件というのは2001年の「大阪教育大学附属池田小学校事件」と2008年の「秋葉原通り魔事件」です。

 この二つの無差別策人事権は奇しくも同じ6月8日に起きているのです。もし新幹線内の事件が同じ日付に起きたとすると、意図的に第三の事件を狙った可能性もあるわけで、そうなると第四、第五といった模倣犯まで出てきかねません。
 幸いと言っては語弊があるかもしれませんが、今回の事件は過去の無差別殺人とは関連付けられないものでした。ただし今回は関係なくとも、毎年6月8日になると二つの事件の関連ニュースは必ず出てくるわけで、この不幸な暗合に乗っかろうという輩は出て来かねません。少し気にしていた方がいいのかもしれません。

 さて、そこまでがホッとした部分ですが、それでも大きな問題が二つ残ります。

【決定的な安全対策などあるのだろうか】

 ひとつは言うまでもなく新幹線という密室で行われた無差別犯罪だったということです。
 一昨年も初老の男が新幹線内でガソリンを被って着火させ、乗客一人を巻き込んで自殺するという事件がありました。ひとたび走行中の新幹線内で無差別殺人が始まると、逃げ場がほとんどないため大量殺人に結びつきやすいという弱点が、改めて問題となっています。
 テレビ局に招聘された“専門家”たちは警備の担当者を増やすとか、金属探知機を使った手荷物検査をすべきだとか主張していて、ネット上には「中国では、新幹線の切符や、北京の紫禁城故宮)の入場券を購入するにも公式な身分証明書番号が必要だ。乗車・入場する際は、証明書との照合があり荷物検査もある。これは欧州各国でも同じ方向だ」といった極端な例も出ています(2018.06.10 アゴラ「新幹線で刺殺事件:荷物検査と身分証明書義務化はすぐ可能だ。」)。しかし実際のところはどうでしょう。

 中国という国は国民の動向をすべて把握していなければ気の済まない国ですし、欧州は度重なるテロのために神経質にならざるを得ません。もちろん日本だって全く危険がないわけではありませんが、教訓を生かすなら、新幹線内でそれぞれ一人が亡くなった(自殺した容疑者本人は除く)二つの事件よりも13人の死者と6300人の負傷者を出した地下鉄サリン事件の方から学ぶべきで、必要なら手荷物検査も身分証明の提示も、大都市の在来線から行うべきです。
 しかしだれもそんなことは考えないでしょう。できるはずがありません。できるはずはないのに、あるいはそこまでやる必要もないのに、事件があるたびに危機感をあおって、それで注目を浴びたり金儲けをしようとしたりするのは、まさに不安商法です。事件に乗っかって正義を振りかざせばいいというものではありません。

 日本の新幹線は7路線で年間4億2千万人もが利用する日本列島の大動脈です。中でも東海道新幹線は1日46万人の乗客を乗せ、実に3分間置きに発車する超過密スケジュールです。そんなところに荷物検査など持ち込んだら大変なことになります。
 “識者”の中には「10人に1人の抜き打ち検査で効果がある」などとおっしゃる方がおられますが、1編成1323人の1割132人の手荷物検査を、発車間隔3分で終わらせることなんかできませんからプラットホームに早く来た人からやるしかない。そうなると乗客はできるだけ遅く行くようにするしかなくなります。その結果、入場口の前には1300人の乗客が入るのを躊躇ってギリギリまで待ち続ける。発車間際にようやく手荷物検査が可能担うわけですが、そうなると132人分終わるまで列車は発車できない――。そんなバカなことができますか?

 新幹線について言えば現在推し進めているように監視カメラを増やし、今回説明があったように「座席を取り外して身を守りなさい」と啓蒙を進めるくらいしか、現実的な対処の方法はないのです。新幹線内でテロに会う危険性よりも、路上で車にはねられる危険性の方が何倍も高いわけですから、過敏になる必要もありません。

 もちろんメディアも“識者”もそんなことは百も承知です。しかしそれでも「新幹線の安全神話は再び崩れた」とか言って危機感を煽るのですから、マスメディアこそ不安商法の親玉的な存在と言えます。

【浮かび上がる容疑者象】

 もうひとつ、今回大きな問題として残されたのは、容疑者の成育歴・生活暦です。
 早くも日曜日の朝、毎日新聞は『新幹線殺傷:容疑者自閉症? 「旅に出る」と1月自宅出る』という記事をネット上に掲載しています。
 夜10時ごろ起きた事件について、翌朝午前4時半にこの記事がかけたわけで、どういうルートで情報を手に入れ、どういう判断で載せたのか、最初は首を傾げたものです。
 案の定、批判を浴びて翌11日の月曜日にタイトルと記事の一部を差し替え、謝罪文とともに再掲載することになるのですが、自閉症が殺人の原因だと思わせるような書き方、および自閉症=殺人といった連想を簡単にしてしまう記者の認識の低さは、やはり問題としなければならないでしょう。
(参考)毎日新聞、新幹線殺傷で「容疑者は自閉症?」と報じ謝罪 「発達障害について不適切な記載」

 さて、そうこうしているうちに一緒に暮らしていた祖母や叔父、もう何年ものあいだ会っていないという実父、それらのインタビューが次々と出てきて、容疑者の成育歴、最近の暮らしぶりは瞬く間に明らかになってきました。
「中学までは同県一宮市で両親や姉らと6人暮らし。中学では野球部に所属したが、いじめが原因で不登校となり、進路などを巡り父親とけんかをして関係が悪化。家を出たという。14歳から約5年は母親が働いていた自立支援施設で暮らし、この間、定時制高校に通学。その後名古屋市職業訓練校に入り、電気工事や溶接など各種資格を取得し、埼玉県の機械メンテナンス会社に就職した。だが人間関係がうまくいかず退社。約1年半前に母方の祖母が引き取り、養子にしたという」
「本来4年かかるのを3年で卒業するほど(定時制)高校の成績も良かった。(中略)ごく普通の青年に育ち、立派な社会人として送り出せたと思っていた。何でこんな事を起こしたのか」(自立支援施設代表)

「近年は引きこもりがちで、周囲に対し『自分は価値のない人間だ。自由に生きたい。それが許されないのなら死にたい』などと話していた」
「2階の部屋に引きこもり、パソコンでインターネットをすることが多かった」
「人に危害を加えることはなかった。事件を起こしたことが信じられない」(伯父)
「おとなしく静かな子だった。自分を否定することが多く、人間関係に悩んでいた」(祖母)

 これを読んだだけでもおぼろに人物像が浮かんできますが、11日になって母親から長文のコメントが出され、その姿は一気に明確になって私の良く知る子どもたちによく似た相貌が浮かんでくるのでした。

(この稿、続く)