カイト・カフェ

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「プロが本気になれば子育てはうまい」~教師が学校から家庭に軸足を移した日

 三年ぶりに娘の家族が長逗留して、私はじっくり観察できた。
 昭和の教師に比べて、今の教師はしっかりと家庭の面倒も見るし、
 プロがその気になれば子育てはうまい。
 それに引き換え、世の中には何も観てもらえない子もいるのだ。
 という話。(写真:フォトAC)

【三年ぶりに家族が帰ってくる】

 三年ぶりの行動制限のないゴールデンウィーク、全国の行楽地も賑わったようです。
 私の家にも娘の一家4人が去年の夏以来の帰省。そこに娘婿の妹と弟、さらに妹の配偶者まで加わって総勢7人の来宅。夫婦のみの家が9人家族になるという賑やかな三日間となりました。
 
 孫2号のイーツは間もなく4歳のワンパク盛りですが、1号のハーヴは小学2年生。生まれたときから少しボーっとしたくらいに落ち着いた子でしたが、子どもらしい面白さという点でそろそろ賞味期限が近づいているような気もします。
 子どもが子どもらしくいてくれる時期は本当に短く、親として楽しむ時間も限られえいます。娘夫婦には今を存分に楽しんでもらいたいと思っています。
 
 婿のエージュは公立小学校の教諭で、どんなときも本を放さず、隙があると目を通しています。それでいて家庭を顧みない仕事人間というわけではなく、子どもたちの面倒もよく見ますし家事もよく分担しているようです。自らの趣味も手放したわけではありません。程よくバランスをとるのがうまい人のようです。
 我が家は良い婿を引き当てました。

【昭和の教師に子どもはいなかった・・・?】

 ひと昔前――いや「十年ひと昔」という言葉に従えば3昔以上の昔、家庭を大事にする教師というのはほとんどいませんでした。いてもと悟られないよう、うわべを装っていたふうがあります。
「教職一筋、児童生徒のために全身全霊を尽くすのが教師だ」
という建前がありましたし、
「担当している児童生徒より大切なもの(家族)があると悟られると学級経営がやりにくい」と信じて疑わない教師もいました。「教師は担任する児童生徒の、父親であり母親でなくてはならない、少なくともそう思わせなくてはならない」とする考え方です。

【教師が、学校から家庭に、半分、軸足を移した日】

 しかしそうした昭和の教師像は平成に入って崩れていきます。父親または母親が24時間教師であるような家から不登校の子どもが出始めたからです。初期に登校拒否と呼ばれたこの不可解な現象は教師たちを震え上がらせました。対処の仕方がまったく分からなかったからです。

 それまでも教師の子どもが非行に走ったというような話がなかったわけではありません。しかし非行や不勉強には対処法があります。必ずしもうまく行くとは限りませんが、どうすればよいのか、方向くらいは見えていたのです。ところが不登校の方はまったくわからない。

 自分の家に火がついた状態で、よそ様の子どもの教育に全霊をかけろと言われても、どだいできることではありません。保護者に向けて子育てをああしましょう、こうしましょうと言うのも、銃後に問題を抱えているようではなかなかやりにくいものです。そこで半歩だけ、軸足を家庭に移すようになったのです。それが私たちの世代からです。

 もしかしたらエージュが家庭を大切にするのは、娘のシーナが昔の私をよく覚えていて、無意識のうちにも同じことを要求し続けたためかもしれません。

【プロが本気になれば子育てはうまい】

 久しぶりに5日余りも娘の家族を観察して、親バカかもしれませんが、子育てのうまさに感心させられる場面が少なくありませんでした。
 何か新しい経験をさせる前にはきちんと対処の仕方を説明しておくこと。むやみにものを欲しがったり駄々をこねたりしないよう、予めやれることや予算の範囲等を知らせておくこと。ハーブの宿題や学習については容赦のないこと。できるまで諦めさせないこと。食事や挨拶などマナーには相変わらずうるさいこと、等々。

 なかでも最も関心したのは子どもの興味関心に際限なく付き合い続けることです。動物園に行ってきて興奮したイーツが、「ライオンはガオー」「ゴリラはバン(と足で床を踏み鳴らす)」「カバさんはフリフリ(と尻をこちらに向けて振る)」などと次々とやってみせるのに、感想を言いながらいつまでもつきあっていられるのです。
 それ自体は大したことではありません。しかし毎日積み重なれば何年か先には大きな違いとなるはずです。世の中には外で起きたことや面白かったことを、いくら話しても取り合ってくれない親がいることを私は知っています。その子たちに比べたらイーツやハーヴはどんなに恵まれていることか――そう考えると恵まれない子たちのことが思い遣られて、何だか本当に泣きそうになるのでした。