1970年前後だと思うのですが、「サルに心はあるのか」という論争がありました。ここでいう「サル」とはチンパンジーなどの霊長類に限ったことです。そしてこれについて、ある哲学者が非常に示唆に富んだ発言をします。
「私は、サルが罠を仕掛けるところを見たら、サルに心があると信じる」
発言したのが哲学者というところがなかなかのミソです。そこにはすでに、心とは「他人には自分とは別の感情や考えのあることを理解し、それを類推できる機能のことだ」という前提があるからです。この前提のことを「心の理論」と言います。
それを機に一部の動物学者たちは霊長類の中に心の理論を発見しようとし、別のグループは人間の中にいつごろから心の理論が生まれるかを研究しようとしました。そして1985年ごろ、イギリスのコーエン博士らがこんな問題をつくりました。「サリー・アン課題」と言います。
- サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。
- サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行きました。
- サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。
- サリーが部屋に戻ってきました。
- サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?
(3歳以上の子どもに対して行うものですから、通常はアニメや人形を使ってやります。私は人形を使ってやりました。子どもの興味を引くために、ボールもチョコレートに変更します)
正解はもちろん「かごの中」です。サリーはボールのすり替えを知らないからです。ところが3歳児にこれをやると面白いくらい引っかかります。「だってボールは箱の中にあるんだもん」ということです。
私は息子が3歳のころから一か月おきくらいにこれをやっていました。昨日も書きましたが子ども相手の実験のすてきなところは、一か月も前のことなど完全に忘れていることです。いつも新鮮な話で、「お父さんはなぜ同じことを聞くのだろう」などと考えたりしません。そしていつも「箱の中」と平然と答えます。そこで私も、「そうかあ、箱の中なんだね」と言って済ませます。
4歳になってしばらくして、いつものようにサリー・アン課題をやっていつものように「箱の中」と答え、息子は一瞬立ち止まります。そして「あ、違う、かごの中だ!」。
サリー・アン課題通過の瞬間でした。
寝返りやつかまり立ちと同じようにいつかはできるものですから、できたこと自体に喜びがあったわけではありません。しかし“その瞬間”に立ち会えたのはかなりうれしい体験でした。
サリー・アン課題はほとんどの子どもが4歳から6歳の間にクリアします。逆に言えば4歳以前の子どもには「心の理論」は成立していないので「他人には自分とは別の感情や考えのあることを理解し、それを類推できる機能」はほとんどないかひどく脆弱だということです。
また6歳を過ぎてもパスできないとしたら、そこに何らかに問題を想定しなければなりません。サリー・アン課題が自閉症の初期検査として使われるのはそのためです。
しかしそうなると3歳の子どもに「ダメでしょ、そんなことすればお友だちが悲しい思いをするでしょ」と言っても全然通じないことになります。なにしろ「他人には自分とは別の感情や考えのあること」が理解できていないのですから。
しかしそれにも関わらず、前述のお母さんのお説教は功を奏します。それはなぜなのでしょう。
(この稿、続く)