カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「年賀状じまいの話」~年賀状が呼び覚ます記憶と人間模様①

 今年も「年賀状じまい」を書き添えたハガキが何枚か届いた。
 お歳や私との関係を考えると無理もないと思う。
 しかし「年賀状じまい」は、“もう出さない”というあいさつであっても、
 受け取り拒否ではないはずだ。
 やはりあの人たちには見ていてもらいたい、だから来年も書くだろう、
 そんなふうに思った

という話。

f:id:kite-cafe:20210112072647j:plain

【年賀状じまい】

 正月も10日を過ぎると年賀状の返信もなくなりますから、毎年成人の日前後が年賀状整理の日ということになります。

 ここ二十年あまりははがき作成ソフトで住所録を管理していますので受信した年賀状については丸印をつけ、ついでに(普通はそんなことはしないと思うのですが)来年の発信欄にも丸をつけておきます。もらった年賀状の記憶がはっきりしているうちに来年出す相手を決めておくと、年末に迷う必要がなくて便利なのです。
 この先も長く関係を保ちたいと思う相手には自信をもって丸を付け、今年限りだろうなと考える相手の欄は「―」のままにしておく。なんだか互いにだらだらと続けているようなので、とりあえず年末には書かずに様子を見ようという相手の場合も「―」のままです。絶対に出さないという意味で「×」をつけることはありません。
 年末が近づいて改めて住所録を見ると、「あれ? どうしてこの人に出す気になったのだ?」と思う場合もありますが、そこには何か思い出せない特別な理由があるはずで、だからそのまま出すことにします。

 年賀状との取り組みは、おそらく多くのひとがそうだと思うのですが結婚を機にきちんと書くようになりましたから、かれこれ三十数年、毎年同じ作業を続けています。ところがここ数年、今までになかったことが起こっています。それは年賀状じまいです。
 今年は3通ありました。

 

【それぞれの場合】

 亡くなった父の妹に当たる叔母からは、こんな添え書きのある賀状が届きました。
「私も今年で八十九歳になりますので、本年をもちまして、失礼させていただくことになりました。今後も変わらず、よろしくお願いします」

 この人は私が生れた六十数年前にわずか二間しかない市営住宅に一緒に暮らしていた、母にとっては小姑に当たる人です(姑も一緒にいた)。若いころは大変な美人でスタイルも良く、田舎ではありがちですが、そのままお淑やかだったりすると周囲から浮いてしまうので、かなり明け透けでがらっぱちな性格に育った人です。
 覚えていないのですがとてもかわいがってもらったようで私その叔母が大好きで、4歳か5歳のころ、結婚して横浜に行ってしまったときには泣いて新郎に襲いかかったといいます。
 そんな叔母から「年賀状はもういいよ」と言われるのはかなり引っ掛かりますが、89歳にもなれば何かと面倒なのでしょう。93歳の母を見ていれば分かります。

 あとの2通は職場の先輩。
 一人は二回目に赴任した中学校の教頭先生、もうお一方は初めて小学校の教員になったときにお世話になった学年主任の先生です。

 学年主任の方は添え書きのない印字だけの賀状で、
「私、高齢となり、今年をもって年賀のご挨拶を卒業させていただきたく存じます」
 教頭先生の方は普通の賀状の添え書きとして、
「身辺の整理のため、本年をもって賀状でのご挨拶を失礼させていただきたく、お願いいたします」
とありました。

 前者については、
「ああ、賀状を通じた関係の全部を切ってしまうのか」
と一瞬、天を仰ぐような気持ちになります。詠嘆とも感嘆とも言える、何とも説明のできない気持ちです。
 しかし後者については解釈が必要でしょう。

 最後のお別れくらい自筆で書こうとお考えになったのか、引き続き出したい相手には出すものの私はその人選に漏れたということなのか。けれどあとの方だったとしても悲観的になる必要もありません。なにしろお別れしてから30年以上も経つというのに、その間に顔を合わせたのは共に在籍した学校の校長先生の葬儀のときだけ、私の方が不躾だったわけですから。


【さてどうする】

 ふと思いついたのですが、「年賀状じまい」という言葉、いつごろから聞かれるようになったのでしょう?
 私の記憶だとここ数年に限ったことで、実際にもらったのは3年前が初めてです。それ以前はなかったように思うのです。

 年賀状というのは続くべき相手とはいつまでも続き、そうでない人とは自然消滅する、それが普通だと思うのです。この人とはもうそろそろだなと思って返事を出さずにいると、相手もそれと察して寄こさなくなる、それにもかかわらず出し続ける人にはそれなりの理由がある、だからただ受け取っていればいい、それが年賀状の妙だったような気がするのです。

 実際、私にも返事をもらえないまま何年も出し続けている恩人がいます。それは小学校時代の恩師だったり、特にお世話になった先輩、校長先生、教頭先生、同僚だったり――そうした人たちには私が元気で気持ちよく生きていることを知っていてもらいたいのです。言葉のやり取りが必要なわけではなく、私が先方のことを覚えていて、いつも心にとめていると知ってほしいのです。返事がもらえるかどうかは二の次です。

 そう考えたら、今年「年賀状じまい」をもらった人たちへの対処の仕方も見えてきました。
 来年は、その方たちにはいつにも増して丁寧な近況報告を加えた年賀状を出しましょう。その上で、上に書いた通り、私はいつまでも見ていてもらいたいのです、返事はいりませんから黙って手元に置いてやってくださいと、そんなふうに添え書きをすればいいのです。