カイト・カフェ

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「私たちの過去と現地点」~40年前の仲間と会う①

 年賀状を契機として、40年ぶりに、
 初任のころの教員仲間に会うことになった。
 お互い齢は食ったが、
 変わらない何かがある。
 という話。
(写真:フォトAC)

【年賀状に携帯番号とLINEアカウントを入れた結果】

 定年から10年がたってだいぶ身辺整理も進みました。例えば年賀状は、義理の関係はほとんどなくなり、親戚と、今後も末永く付き合っていきたい友人・先輩だけになったと感じています。そこで今年の年賀状には、これまでは比較慎重だった携帯電話番号を載せLINEアカウントのQRコードも貼り付けておいたのです。何人から連絡がくるのかとドキドキしていたのですが、電話はなく、LINEにアクセスしてきたのもわずか二人だけでした。友だちの少ない人間かもしれません。

 もっとも、考えてみると年賀状を出した相手には、もともと携帯番号を知らせてある人がかなりいますし(親戚や友人ですから)LINEのトーク仲間になっている人も多いですから、新たなつながりといってもそんなに増えるはずもありません。だからふたりは上出来かもしれないと思いながらも、「やっぱQRコードの横に『LINEアカウント』とくらいは書いておけばよかったかな」と後悔しました。そもそもQRコードを見たらスマホを向け、とりあえずカメラを開いてみようとする人は案外少ないのかもしれません。

【集まるときは簡単】

 ところが連絡をくれた2名はたまたま40年前に私が初任だったころの中学校の同僚で、男性の方はすぐに電話をかけて来て、
「こんど一緒に飲みましょう」
という話になりました。相手の方が顔が広いので、
「ひとを集めてくれたら私が駅前に場所を取るよ」
と言っておいたのですが、それ以来連絡がなく、
《ああ、ありがちな社交辞令かな》
と思っていたら先週末、
「19日に会いましょう。人は集めます。場所を取ってください」
 二十代のころと変わらぬ“軽さ”と“いい加減さ”。ひとにものを頼むには手順とか配慮とかがあってしかるべきですよね? 今日、話をして4日後に席を取れと言われても、祝日の前夜では簡単に取れないかもしれません。私は外を飲み歩く人間ではないので、紹介できる店もほとんどないのです。
 結局はいい店が予約できましたが、――その人に1割程度の苛立ちと9割程度の微笑ましさを感じながら何かをさせられるのは、これも昔と全く同じパターンです。

【私たちの過去と現地点】

 集まったのは4人。
 出会ったときの状況で言えば、ひとりは28歳で二校目、しかも既婚で子どもまでいましたが残り3人が初任・独身。ただし初任と言っても私はすでに30歳でしたからその中での最年長。残りの二人は24歳と23歳と私よりものすごく若いのですが、一年早く教員になっている2年目教師ですからこの世界では先輩にあたります。

 最年長の私と最年少のふたりが社会科、残りの二人が英語科。全員が学級担任であり部活顧問をしていました。

 4人中3人が校長経験者。再若年のひとりだけが管理職を経験せずに昨年、再任用期間も終了しました。しかし前々から申し上げている通り、今の時代、定年まで教職の最前線にいて定年後も同じ仕事を続けている人が“勝ち組”だと、私は思っています。やってみなくては分からないという側面はあるものの、そしてやりがいのある副校長(教頭)はまだしも、校長は挨拶をして責任を取るだけのつまらない仕事です。

 4人中最年長の私と最年少の彼を除いた2人が、現在も教職にあって部活顧問を楽しんでいます。最年少の彼もこの8カ月余り休養を取っていただけで、来月(令和6年度4月)からは現場に復帰する予定です。したがって4人中3人が現役教師、ということになります。
 
 最年少の彼の「この8カ月余り休養を取っていた」理由は前立腺ガンの治療のためで、いちおう治療が終わったための現場復帰だそうです。その彼を含めてガン経験者が4人中3人。私が肺ガン、もう一人が大腸ガン、若いころにはまったく想像できない会話が弾みます。20代のころは健康の話もしなかったように思います。
 健康というのは身体に対して無頓着でいられる状態のことだと、つくづく思います。
 
 「ハゲ」と言われてまったく抵抗できないような人はゼロ。しかし若いころとまったく変わりのないような黒髪もいれば白髪の密集する頭もあり、白髪で頭頂部の薄くなった一人を除くと、おそらく私が一番心配な状況にあると思われます。自分では見えないので分かりませんが――。
 
 あとは私ひとりが二人の子の親であり、残りの3人は三人以上の子の親でした。一部は今も養育中です。
 一昨日、知ることのできた現況は、そのあたりくらいまでです。
(この稿、続く)