18年前の教え子から、結婚の報告を兼ねた年賀状をもらった。
18年間、欠かさず寄こしてくれた子だ。
私はこの子に格別の思いがある。
とにかく素晴らしく、時には困惑させられた子だったからだ。
という話。(写真:フォトAC)
【結婚の報告】
18年前に担任した教え子から、結婚の報告を兼ねた年賀状が来ました。和装で和傘を指した新郎新婦が、中央で微笑んでいます。
「ご無沙汰しております。12月に入籍しました」
新型コロナのせいで式や披露宴ができなかったのでしょう。夫婦の名前や新居の住所の下には、さらにこんな添え書きがあります。
『和装をしながら、先生に「〇〇さん(この子の本名)は和装が似合うだろうなあ」とおっしゃっていたのを思い出しました』
女の子の容姿について語ったわけですから今ならさしずめセクハラ扱いでしょうが、昭和顔というよりはさらに進んで平安時代にいそうな、絵に描けば引き目・鉤鼻・おちょぼ口、頬のふっくらとした美人だったのでそんなふうに言ったのでしょう。記憶にはないのですが、いかにも私の言いそうなことです。
彼女の担任は小学校4年生の時の一年間だけで、その後都会の方に転校してしまったので以後は言葉を交わすことはなかったのですが、年賀状だけはこの18年間、欠かさず寄こしてくれました。
写真で見る限り、想像していたよりもさらに美人になっていました(これもセクハラかな?)。ただしこの子に関する思い出の中心はそこにはありません。
【なんという子だ】
それは小学校4年生の、この子については最初で最後の私の家庭訪問のときのことです。
市営アパートの2階か3階が自宅でしたが、車で行くと階段下にすくっと立っていて、私を見かけると両手を膝に当てて深々と頭を下げます。それはあまりにも子どもらしくない、大人びた仕草でした。
駐車場に車を置いてその棟に行くと軽く会釈をして案内し、私を先に玄関を入れると後ろ手にドアを閉めます。私が靴を脱いで上がるのを待って自分も脱ぐのですが、膝を折って脱いだ靴をそろえ、上がり框に寄せてそれからふと気づいたかのように私の靴もそろえ直して引き寄せます。
私だってそれほどいい加減に脱いだわけではないのですが、ひとの靴を整える姿があまりにも自然で、ほんとうに驚きました。そんなことのできる小学校4年生が現代に生きているのか、といった驚きです。
そのあと私と母親の話にどんなふうに加わっていたのか記憶はないのですが、なんとなく伏し目がちで、小さく正座していたような気がします。
それが最初で、最も強い印象です。
【美しい文字への執着】
1年を通して、大人しい良い子でした・・・というかあまりにも目立たず、良い子であったかどうかもはっきりしません。けれどそれでいて記憶に残らない子だったのかというと、そうではないのです。何しろ毎日感心させられ、毎日苦しめられていたから忘れようがないのです。
何に感心していたのかというと、毎朝提出される漢字練習帳の紙面があまりにも汚かったからです。鉛筆で何度も書いては消し、書いては消すのを繰り返すので紙がいつもくすんで灰色がかっているのです。何のために?
実はこの子、漢字を覚えるために書くのと同時に、美しい字が書けることも練習していたのです。だから書いた字が気に入らないとすぐに消してしまい、それを繰り返すためにノート全体が汚れてしまいます。
1ページ400マスを埋めてくるのが宿題でしたが、この子が書いた漢字はおそらく1000字でも足りないでしょう。時間は、もしかしたら普通の子の4~5倍もかかっていたのかもしれません。
そしてこの「美しい字」へのこだわりが、毎日、私を苦しめたのです。
考えてもみてください。
漢字練習帳とともに出される日記の文字が、赤ペンで添え書きする私の字よりもはるかに美しいのです。私は一言書くたびに何か美しい作品を汚しているみたいで、本当にかないませんでした。
今年もらった年賀状の文字も、それは美しいものです。
【有り難いこと】
転校によって私のもとを離れたその子は、翌年父親を病気で失い、母親とともに苦労を重ねたようですがやがて地元(といっても都会)の国立大学に進み、数年前、教員になりました。
教師としての様子は聞いていませんし18年前を思い返しても教員としての才能があったかどうかといった細かな点までは蘇ってきません。
ただしあれほど誠実な子ですから、時間をかければ大抵の困難は乗り越えられているはずです。教職は一種の職人芸の世界ですから誠実に努力すれば確実に腕を磨けるのです。着実に歩みを進める人間には向いている世界です。
年賀状という細い糸のおかげで、一人の子どもが大人になっていく過程を見続けることができました。
通常の意味でも、語の本来の意味でも、本当に「有り難い」ことでした。